自己鍛錬論
やりぬく力をつけるのにはどうしたらいいのか
やることがあるのにやる気が起きない、やり始めての少しやったら止めてしまった、人から言われると反発心が起こってやるべきなのにやらない、仕事や趣味が長く続かないという人は案外多いのではないかと思います。
頭ではわかっているのに、感情が邪魔をします。ちょっとしたことで激し、躁ぎ、人と比べ競い、かといって定見がなく随ってしまう。周りに気づかせてくれる人がいればよいがそんな深い相談に乗ってくれる人もいないかもしれません。また、人に弱みを見せたくないので問題を自分で抱え込んでしまう。
これらの問題の原因は自分の中に定見がなく常に周りの情報と自分の感情に振り回されてしまうからです。定見とは自分用の物差しを持つことです。他の人の物差しを借りてばかりいると判断がぶれてしまいます。したがって、自己鍛錬の中で定見を作り研きより良いものにしていけば良いと思うのです。
内なる要因を掘れ
自身に対して自己鍛錬を展開するためには「自身の精神のステージを知る」「自身の目指すステージを明確にする」「目指すステージの障害となるものを除去する」「次のステージに上がるための行動を検討する」「次の行動を促すために自身に言葉を送る」といったところでしょう。
その中のひとつとして、「目指すステージの障害となるものを除去する」については障害を「内なる要因と」と「外なる要因」に分け「内なる要因」を重視します。
内なる要因の掘り方のポイントは、他者否定と自己否定にならないということ。他者否定とは「あいつが悪いからこんなことがおきたのだ」ということになり、自己否定は「私はだめなやつだ」となる。自分のどの行動が悪かったのでしょう。自分のどの心の持ち方が問題だったのだろうと考えていくようにします。
現在の心場を見直せ
精神的ステージも「精神が不安定な状態」「精神が安定している状態」「次のステージを目指している状態」に分けられます。
精神が不安定の状態は、精神が不安定で喜怒哀楽が激しく現れる。比較的に怒と哀が起きる割合が長い。
精神が安定している状態は、精神が比較的安定している。比較的に喜と楽の期間が長くなる。また、「平らか」な状態も生まれてきます。
次のステージを目指している状態は、「内なる要因」を解決し次のステージに向けて「進もう」としている段階です。
まとめると、哀怒喜楽平進というように並べられる。また、精神的ステージもこの後からは「心場」と呼ぶようにします。
「哀」は哀しみ、嘆き、苦しみの状態である。精神的には一番どん底の状態です。「怒」は外に攻撃をしますが「哀」自分を痛めつけていきます。
「怒」は怒り、他に攻撃します。攻撃している間は爽快感が伴いますが、冷静になると。恥ずかしさが現れます。
「喜」は喜び、躁ぎ、興奮の状態です。一見、良さそうな状態に見えますが隙が多くなるのもこの状態の時です。
「楽」は自然で少し楽しい状態です。精神が安定している状態に感情が少し入りだしています。
「平」は精神が安定している状態です。
「進」は次のステージを目指している状態です。
独時と周時の繰り返しで修養せよ
次に周りとの関わり合いについて考えて見よう。心場も自身の殻に閉じこもって「次のステージに進もうとしている状態」に近づくことはそう難しいことではない。一般的には「気づき」が生まれた状態がそれに近い。しかし、「進」も周りとの関わり合いでもろくも下位のステージに逆戻りということは往々にして起きます。
「独りでいる時」には、基盤となる考えを整理し、次のステージに進むための工夫を凝らし、帰った時には自分を省みます。
「周りと関わっている時」は、「独りでいる時」での考えを常に実践している時であり、自然に振る舞わねばならない。基本は行動している状態であり、考えている状態ではありません。
「独りでいる時」と「周りと関わっている時」は繰り返しです。繰り返しに大きな意味があり人間としての修養の場が常にこの二つの時を行き来していきます。
白洲次郎の事例
白洲次郎という人がいる。プロフィールは省きます。白洲氏は「独りでいる時」と「周りと関わっている時」を明確に分けていました。独りでいる時は都会の喧騒から離れ田舎に身を置き農民として生きていました。周りと関わっている時は、政治や実業に自身の考えを貫き行動していました。その行き来は、他人に奇異に移りました。その行動が日本のラスプーチンとかマスコミに叩かれ、妻の白洲雅子にさえ矛盾に写っていました。しかし、白洲氏の中にはプリンシプルスとしての一貫した行動ととして少しも矛盾に感じていなかったように思います。
心以外に事場も見直せ
「モノ」や「コト」にもステージがあります。「事物が不安定な状態」」「事物が安定している状態」「事物が新しい状態」に分けられます。
心場と同じように「壊離異古」「平」「新」の六段階です。
「壊」は事物が壊れている状態です。
「離」はモノであれば壊れる寸前で部品が離れている状態です。システムならば繋がっていない状態です。
「異」はモノであれば少し不具合が出始めている状態です。
「古」は古くなってきた状態です。
「平」は正常は状態であり。
「進」は新しく導入され正常です。
人間だけで自己鍛錬するだけでなく道具を使って目的を達成しようとするので、事場にも気を配らければなりません。
また、モノ以外に法律、マニュアル、規律、ルールなども心場で状態を図ることはできない場合は事場で状態を計る必要があります。
道具を愛し磨け
宮本武蔵の五輪の書の中に兵法の道で、「兵士である者は大工である。自ら道具を研き、色々な責金、責木を作り、大工の箱に入れて持つ。(中略)大工のたしなみは、よく切れる道具を持ち、時間があれば研くことである。」とあります。自己鍛錬する者は武士であれ大工であれ皆同じだと言っています。
また様々な状況に応じて使い分けられるようによく鍛錬しておくことも重要だと言っています。それを突き詰めていくと細かな変化に気づくことができ、さらに細かな点を切ることができるようになる。ただし、その道具がないとできないようにはならず、別の道具でもできるようにもしておかなければならないということです。
時には師をもて
自己鍛錬というと何でもかんでも自分で鍛錬することだと誤解されてしまうかもしれませんがそうではありません。自分のステージを上げるためには、時には師の指導を受けることも必要です。ただし、外観ができない指導者は師とは言えません。外観とは他の物事や言動を正しく細かく本質を見ることができる能力です。