定見のマネジメント【前篇】

定見とは何か

 一本筋の通った考えを基本に様々な事象に対しての意見をもっていることを定見という。無定見になると他に批判をしますが自分の意見を持たないので言い放しになります。定まった背骨がないので言い放った意見が自己矛盾起こす。

当たり前のように感じるかもしれないが、情報化社会の現在、定まった見方がを持っていない人が多い。学歴はある、知識はある、しかし定見はない。つまり無定見である。その場その場で良いと思っていることを言い行動している。そんな人は多い。

 定見がないと流される人になる。流される人とは、無定見なので次のような特徴を持つ。

・考えたり努力したりする必要があることで、やり遂げたことは今まで一つもない

・とりあえず何でもできるが、何をやらしても大したことはできない

・同じ過ちを何度も繰り返し、失敗から学ぶことはない

・色々なことに手を出すが、全うしたことは一度もない 企業に置き換えると定見は戦略です。無定見で戦略を持たないというのは、その場その場で経営を行っているということだ。戦略は市場における戦い方です。世の中には様々な戦略がある。差別化戦略。価格戦略、経営戦略など言葉を使う人によってさまざまな意味を付けている。ATOOSでは、自社の考え方や目的と市場における他社との関係において、よりよい戦い方を戦略と考える。

戦略を決めるのに何が必要か

市場から見た場合

 市場のプレイヤーの存在が戦略を選定する際の重要な要素である。具体的には、自社、顧客、競合の3つのプレイヤーだ。サプライチェーンで見た場合は自社が小売業者ならば、3つ以外にメーカー、卸、エンドユーザーなどが入るが、ここでは話を分かりやすくするため先ほどの3つのプレイヤーが中心である。

 市場の説明が入るので、五行市場論の説明を補足する。五行市場論は、ATOOSが陰陽五行からヒントを得た市場戦略である。詳しくは五行市場論と五行市場論による戦略計画で解説しているので参照してほしい。先ずは、相手を生かす関係を相生という。また、相手に勝つ関係を相剋という。基本的には顧客のニーズを満たし相生する。競合との競争に勝り相剋する。しかし、物事は単純ではない。相剋の反対で反剋する関係を相侮という。勝てる競合から反撃を受け侮られることなどである。相乗は相剋が度を過ぎたものだが、大きな企業が過度に圧力をかけることなどを指す。比和はニーズが合致しお互いが良くなることを指す。しかし、逆に悪くなることもある。

顧客との関係はニーズを満たし相生を生み出している。新規の場合に顧客は最初から自社を認識していないので、相生の気は弱い。徐々に大きくなり、途中から気は盛んになって比和となる。しかし、コストダウン要求などが強くなると相剋に変わり、さらに強くなると相乗となりやがて関係が終わる。このように相生となるか相剋になるかで関係は決まってくる。価格や広告だけで生まれる相生は気の循環が速く良い関係は長続きしない。

競合との関係を見た場合、自社のポジションを確認する必要がある。ポジションは、リーダー(天子)が一番強く大きい。その次に、チャレンジャー(大国)はリーダーに立ち向かいその地位を得ようとしている。その次に、フォロワー(中国)がいる。そして最後はニッチャー(小国)で一番小さい存在である。基本はそれぞれが相剋の状態である。業界によって組合などを作り相生する。あるいは提携を組み比和の状態になる場合もある。激しい競争になる場合は、反相剋の状態なので相侮となる。規模差がある場合は相乗となりより小さなプレイヤーは窮地に立つ。

攻めの戦略と守りの戦略

 攻めの戦略と守りの戦略というと、攻めの戦略が聞こえは良さそうだが、そうではない。大事な価値観を守り、他と共有し、その価値観を知らない人に伝え広めていくことが一番重要だと考える。

しかし、世の中は甘くはない。こちらが守ろうとしている価値を軽視し、あるいは無視し、あるいは攻撃してくるかもしれない。あるいは、自身の利益を求めるあまり、こちらの利益を奪い取ろうとする。このような場合に攻めの戦略を選択する。それは、競合相手だけでなく顧客に対しても同様だ。

略の選択は、大事な価値観を守るために生き残るための意思決定なのである。そのためには攻めと戦略と守りの戦略の両方を知り行動できなくてはならない。

守りの戦略

経営は道徳の器

 資本主義における経営とは、営利目的の組織活動である。利益なくては企業は存続していくことはできない。しかしながら、利益の追求が強すぎると周りと全てが相剋の状態に陥る。一時は自社に利益を得ることができるが長続きしない。株主が強すぎると社内留保できずに環境の変化が起きた場合にすぐさま窮地に陥る。従業員の待遇は改善されずブラック企業に成り下がる。コンプライアンスは当たり前だが法律の前に道徳が必要だ。法律だけでは経営はできない。士魂商才は、渋沢栄一の言葉だが、士魂が価値観に当たる

忘れ去られた守りの戦略の意義

 経営における情報は次々と新たなものが出てくる。また、出てきてはすぐに消える。10年も多くの経営者の記憶にとどまっているものは稀だ。ビジネス本が売れないといっているが多くを売るからだ。新たなものは目立つが成功の保証はない。成功を裏付けているようだが歴史に残るものが本当の成功だ。

 かつて、商人に価値観を訴えた人がいた。渋沢栄一や石田梅岩などだ。彼らは、儒教の教えを経営に取り入れようと多くの経営者にその考えを伝えていた。その中心にあるものは仁義礼智信の五常にある。五常は、個人や社会に相生の状態を目指すものだ。修身斉家治国平天下だ。しかし、封建制度なくなり民主国家となり資本主義となった。国を治める聖人はおらず、五常をそのままの状態で現代に運営することはできない。しかし、変えるところはわずかに思える。男女の差別はセクハラとなり、年齢の差別や身分の差別はパワハラとなり、現代では問題にされることが多い。しかし、渋沢栄一が言うように論語にはそのような記述は少なく、儒教の体系化と為政者の都合によって捻じ曲げられた。

 また、五常だけが価値観ではない。少し大変ではあるが自身で作り上げることもできる。また、「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」(ロバート・フルガム著)にあるように平易に価値観をまとめることはできる。それを人生や企業戦略として保っていくことが守りの戦略である。

 守りの戦略も、普遍的マネジメントの6つのマネジメントが存在する。やはり、思った通り歴史的にも不変なのだ。目的のマネジメントは、3つの喜び。定見のマネジメントは非戦の経営。人材マネジメントは、人をつくる。業務マネジメントは、ものをつくる。顧客マネジメントは、お客様をつくる。財務マネジメントは、お金をつくる。ひとつづつ説明しよう。

3つの喜び

 売って喜び、買って喜ぶ、作って喜ぶとは本田宗一郎が有名にした言葉だ。メーカー、ディーラー、消費者が皆その商品をもとにそれぞれが喜んでいる。相生の状態である。また、三方よしは売り手よし、買い手よし、世間よしとする近江商人の言葉だ。これらの言葉は、目的のマネジメントである。常に自身の行動の指針となり、日々鑑みることができる。

非戦の経営

 守りの戦略は壊さない経営ともいうことができる。今の言葉でいうとサスティナブルやSDGsに近いかもしれない。ATOOSでは、常為兵感驚楽の常為兵に当たる考え方だ。環境変化に対応し、考え過ぎず行動し、無駄をしないという考えだ。そもそも。戦略の語源は、戦いを略すだ。戦いは最終手段であり、戦わずにして勝つことが最高の戦略である。壊さない経営は、戦わずに人やモノやその他の資産をお互いに失わずに残す戦略と考えることもできる。壊さない経営は、仲間づくり、喜びづくり、信用づくりだ。

仲間づくりは、 価値観を守り行動するが同じ方向性の人や企業を探し仲間を作りメンターメンバーとして活動していく。まったく違う価値観の人とは和して同ぜず色には染まらない。

喜びづくりは、相生が増して比和となるように、常為兵感驚楽の感驚楽を心掛けともに感じ驚き楽しむ。

信用づくりは、無駄をせずなるべく借金をしないが、銀行とよりよい関係を作りいざとなったら借りれる信頼を作っておく。

これらは定見のマネジメントである。守りの戦略として、人やモノや社会を壊さず、仲間や喜びや信用を作っていくのだ。

人をつくる

 守りの戦略は、人を大事にする。しかし、決して甘やかすのではなく会社は仕事を通して人格を形成する場と考える。かつて二宮金次郎は、衰村の農民に怠情の作興をするために、縄ないを行わせた。縄ないとは、昼の農事が終わった後、夜は余った藁で草履づくりを推奨した。

 「日本で一番大切にしたい会社」坂本光司著に掲載されているサイボクハムの社長笹崎静雄氏の社員を大事にする会社の有名だ。笹崎氏の心がけは不易流行だ。原理原則を大事にしながら、時代の風を取り込む。養豚牧場からスタートしたこの会社は小売、飲食、はたまた温泉施設まで運営する。それを支えているのは人だ。

 創業間もない会社は、必ず人でつまずく。青汁王子こと三崎雄太氏は数年で2億溜めたが、社員の会社情報の漏洩で人間不信に陥った。これだけ聞けば、社員が悪いが青汁王子は社員を大切にしていただろうか?人間は嫉妬する動物である。成功の裏には嫉妬が渦巻く。ましてや、自分の近くにいれば成功者と自分の比較で妬む。勝てなければ引きずり落そうとする。だから、そうさせないためにも人格形成は必要だ。人格形成を目指して社長が自ら率先し、社員に模範になるものが出てきたら挙直する。挙直とは、金次郎が行った報奨制度だが詳しくは人材マネジメントを見てほしい。

分度評価制度

 正しい価値観を浸透させるためには制度が必要である。中小企業は社長そのものが法律である。従業員のその一挙手一投足に注意を払う。しかし、社長の言うことが変わると従業員は混乱する。社長は状況が変われば言動も変わるので矛盾はないが、従業員は社長の真意が理解できないと朝令暮改と思ってしまう。価値観はそれほど大きく変化するものではない。社長が常に言い続けなくても理解させることができるのが制度だ。特に人に関わる評価については制度にした方がよい、

 金次郎は、分度を農民に守らせた。分度というのは、分にしたがい度をまもることだ。分というのは、人の中庸の分度とは人の能力を調査して、多くの人の通計をもとにして能力の盛衰と意欲の強弱の平均をして、その中をとって分を立てるのである。詳しくは人材マネジメントを参照してほしい。

ものをつくる

期待を上回る製品をつくる

 世の中に物はあふれている。安かろう悪かろうという価値判断があった。現在の製品の品質はこれが当てはまらなくなった。国内だけで流通していた時と異なり、海外からも多くのものが輸入されている。日進月歩で製品の品質が高くなっている。

 価格で期待を上回るのは難しい。デフレで海外との物価の差は縮小しているが、海外の製品はよりコストの安い生産拠点を目指して行くので国内生産では難しいのだ。海外で生産する方法もある。中小企業の選択は限られるので、期待を上回るのは企画・開発に的を絞ろう。

 先ほどの、サイボクハムは豚肉の品質向上のために国際品質コンテストで金賞を取った。ブランド確立のためにかなり前にアメリカのディズニーランドを見学し現在の温泉施設に取り入れた。大事な価値観(養豚の品質向上)を守り(不易)、ブランディング(ディズニーから学んだ計算しつくされた資源との共生)で攻める(流行)を実践する。サイボクハムの価格帯はどの業態も安くはない。結果として高付加価値の製品とサービスを提供している。

長く使われるものをつくる

 守りの戦略での製品やサービスの特徴の一つは長寿命であることだ。メーカーのよくとられる製品戦略は計画的陳腐化だ。高度に計画しある一定の時期になると故障が多くなり、修理費がかかるようになり、新品と買い替え需要を作る。あるいは、前より高機能あるいは低価格の新商品を作り旧製品の価値を下げ、買い替え需要を作るなどだ。

 しかし、守りの戦略は多く売るよりも、長く使うことを選ぶことが多い。日本が以前あった「もったいない」の価値観を売っているのだ。

安心して使われるものをつくる

 もう一つ守りの戦略で重要なのは安心だ。顧客に安心を提供するのは時間とお金がかかる。安心を提供するには品質を高めなくてはならない。顧客の求める品質を確保するのは一朝一夕にはできない。保証も重要だが、実績を積むには時間がかかる。安心を高めるには補償や顧客対応をしなくてはならない。これらを作り上げるのは資金が必要だ。補償の際は、企業側に損失が生じる。顧客対応をしっかりしようとするとコールセンターや窓口のスキルや知識向上のために投資が必要になる。外部委託しようとしても人のスキル向上や知識向上は同じく時間がかかることは覚悟しなくてはならない。

守りの戦略は基本的にはリーダーの戦略

 こうして考えると守りの戦略は、時間や資金が必要になるので、それができるのがリーダーのポジションだ。リーダーは、これまで多くの時間をかけ自身のポジションを作ってきた。長年の内部留保で資金もある。だから、顧客の期待を上回り、長く使ってもらっても長期的な利益を考えることができ、安心して使い続けてもらうことができる。

 ある意味、ブランディングが重要になってくる。ブランディングは、企業の価値観を商品やサービス、デザイン、ロゴなどに統一性を持たし。そのイメージを顧客に浸透させる。その価値観を受け入れた顧客はロイヤリティを持ち、その企業が統一性を提供し続ける間、その商品やサービスを購入し続ける。広告をうった程度ではブランドは確立されない。浸透させるためには時間と資金が必要なのだ。

お客様をつくる

顧客第一主義

 顧客第一主義というと顧客の要望をすべて満たし、何でも言うことを聞くように感じる間も知れないが、守りの戦略の顧客第一主義はそれと異なる。守りの戦略の顧客第一主義は共有する価値観の前提においての顧客第一主義である。例えば、礼を重んじる会社は、礼を重んじない顧客は顧客とみなさない。しかし、礼を重んじる顧客には礼を尽くす。お金を払っているから顧客なのではない。利益よりも思想でつながることを重んじるのだ。

 普遍的マネジメントの顧客マネジメントでは、マーケティングを中心とした中小企業向けの説明を中心としている。守りの戦略は、中小企業の中でもリーダーの取る戦略なので、すべての中小企業が選択できないかもしれない。しかし、価値観を重視する守りの戦略を目指してほしい。そこまで、辿り着ければ100年続く企業も夢ではないだろう。

お金をつくる

積小為大

 積小為大の意味は「小さな努力の積み重ねが、やがて大きな収穫や発展に結びつく。小事をおろそかにしていて、大事をなすことはできない。」だ。これも金次郎の言葉である。

積小為大で大事なことは、その小さなことの詰め重ねを発想し、行動し、繰り返し、発展させることである。資金をためる手段を発想し、実際に行動に移す、それを繰り返し積み上げて大きなものにする。そして、より発展性のあるものに工夫し、さらに積み上げることだ。企業の資金作りも同じである。

 貯金のようにただ資金を増やすのではない。価値観を広めることに投資にすべきだ。サイボクハムの創業者は笹崎静雄氏の父龍雄氏だ。龍雄氏の時代で種豚の改良ですでにサイボクハムは名をはせている。それをさらに改良を重ね、繰り返し、発展させ国際コンクールで賞を取るまでに至る。日本の豚肉が世界中で評価されているのは、笹崎親子の積小為大の実践の証である。

入りを計りで出を制す

 入るを計るというのは知恵を出し収入を増やすことだ。金次郎は子供の頃に本家の伯父万兵衛のところに預けられます。勉強熱心な金次郎は夜学に灯油を使いそれを万兵衛に禁止されるが、自分で菜種を植えて、それから油をとり灯油と交換し夜学に使った。そもそも服部家もその用人も他家の女中もなぜ貸金が必要だったのか。このころ既に諸藩ほとんど不良債権でどうしようもない状態に陥っていた。つまり入るを計って出を制することを知らないからだ。

 もともと、武士階級は農民からの年貢によって生計を得ていたので、節約に関心は薄い。足りなくなったら年貢をより多くとればいいのだ。自分の一族のためだけなら、町人から借金をすればいい。町人も基本的には武士は逃げないから貸し先としては都合が良い。だからどうしても借金が増える。また、武士とその用人たちは生産手段を持たない。だから、お金が足りない時に自分で生み出すことができない。したがって、金次郎のように菜種を植えられないのだ。だから、入りを計り出を制すことを理解しなければならなかった。

 中小企業の財務の要はキャッシュフローをいかに増やすかだ。普遍的マネジメントの財務マネジメントを読んでほしい。特にキャッシュフローを増やすことは必要資金を増やすで述べた。

推譲の精神

 守りの戦略に入りを計り出を制すという考えの節約という考えはあるが、節税の考えは薄い。国家は我々が納税したお金で国民を守っている。我々のために使うお金だ。それを節税してしまうと社会にお金が回らず、その結果企業に返ってくるのだ。

金次郎は、冥加金の仕組みを考えた際に、多少余裕がある人から、余裕のない人にお金を差し出すことが必要です。いわば推譲といっていいでしょうと考えた。報徳仕法を行う際に、その原資は他の村から推譲された資金である。思想や価値観は、人に間接的に影響を与えることができるが直接的に影響を与えられるのが資金だ。

分度によって余剰した資金を溜めて、今後の自身のために不作や飢饉備えるのが自譲である。余剰した資金を他の人に差し出すのが他譲である。勤倹して積み上げた資金を国家が大事に使うことを信じるのがであり税である。苦しい人のためだと思うのがである。それを信に答えて正しく国家が使うのがである。使い方を邪推して悪い風聞を流さないのがである。推譲されたものを無駄なく工夫して使う知恵がである。このように考えるのが五常である。

備荒の備え

 報徳外記備荒第十七に、「三十年に一度小さい凶作が来、五十年に一度大凶作が来る。~ここに一町歩の田があるとき、その十年の収穫量を調べ、その中をとり、これによって分度を建て、三年拘束して一年分の食を余すという方を守れば、大凶作はもちろんのこと、不虞の災害が並び来ても、どうして憂うることがあろうか。~とはいっても愚かな民は、その法を知っていても、予め備えるというのができないのである。」とある。

金次郎の時代の天候の話であるが、経済危機はバブル崩壊、ITバブル崩壊、リーマンショック、新型コロナウィルスと約十年おきに起きている。関東大震災から約100年、阪神・淡路大震災から約30年、東日本大震災から10年が経っている。「名勝桂浜の松など2本の松と2本のスギの年輪幅の時系列をスペクトル解析することにより, 気候変動の周期を推定しようとした。また, Wolfの太陽黒点数についても同様な解析を加えるとともに年輪との関係を求めた。年輪には27~28年, 43年などいくつかの卓越周期が見られ, 太陽黒点では10.4年という卓越周期が得られたが, コヒーレンスによる検討では両者の間に特別な関係は見出せなかった。」年輪による気候変動周期の推定、近森 邦英氏, 宮原恒彦氏の論文

金次郎は記録と感覚と思考によって変化を感じ取っているが、経済的には10年間隔、気候変動、震災間隔から見ると30年、50年間隔で変動があるることを科学的に証明している。実際に報徳記によれば初夏に口にした茄子が秋茄子の味だったので飢饉を予測したと書かれている。

このように、自然のリズムと人間の営みは切っても切り離せない。なのに現代の企業環境は、内部留保しにくい環境にある。先ずは留保金課税だ。報酬額にもよるが現在法人税率を国は下げる傾向にあるため同族会社が役員報酬額を抑えて税額抑制している前提で留保金課税を掛けてくる。むろん、節税コントロールとして行えばそれにあたるが、将来の備えとして内部留保する目的でも留保金課税はかかる。

上場すると外部投資家は内部留保を企業活動に活用していないので投資家に分配せよと主張してくる。守りの戦略を行うためには上場は難しい。外部の価値観を入れざるを得ないのだ。

このような環境にはあるが、将来の備えとして内部留保することが守りの戦略の重要なところだ。それによって、無借金経営を実現できる。企業に不況や経済危機、震災などに資金が必要になっても直ぐに銀行は借入要請に応じてくれないかもしれない。先のような場合、他の会社も借入したいと望んでいるので、需要は多く供給は少なくなる。これが傘が欲しい時に傘を貸さずに晴れの日に傘を貸すという銀行の例えだ。むろん、無借金経営は、借入金の引き剥がしからも無縁だ。そのためにはバランスが必要になる。大きな投資が必要となる時に資金のバランスが崩れる。それを補うために借入を行うことになる。日ごろの節制により資金を蓄え必要な時に投資したり危機に吐き出すのが守りの戦略だ。

バランスは、企業の内外に及ぶ。社員と価値観を共有し修身させる。家庭でも倹約に努め推譲の仕方を教える。家道安楽の法である。それにより斉家となる。企業は守りの戦略を実行し、治国となる。そのような企業は増えて社会は平天下となる。ある種、守りの戦略はその実現を目指すものだ。しかし、現実の個人、競合相手、社会はその実現に沿うものではないことが多い。そのことについては後程攻めの戦略で述べる。

経営者が君子を目指す

どの社会においてもリーダーの果たす役割は大きい。また価値観においても自らが率先して範を示さなければ他はついてこない。論語に小人と君子という言葉が出てくる。小人とは、器が小さく、世に害を及ぼす人だ。ATOOSがいう流される人だ。

小人とならず

 小人は利益を我がものとしようとする。確かに欲は大事だ。多くの経営者もおのれの欲で起業している。しかし、その欲が壟断となると必ず身近なものが不正を働く。先の三崎雄太氏の例もそうだ。それが疑心を生み人間不信となり孤立を生む。多くの金を生んだ努力や才能は何のためだったのだと苦悶する。

そこまでいかずとも、日々利益の話ばかりで話が義に及ぶことはない。見た目はにこやかだが人を助けることをしない。君子はそのような小人を侮蔑のまなざしで見て、自分とは価値観の違う不義にして富みかつ貴っときは我において浮雲の如しという態度が必要だ。

流される人」とは、ナポレオン・ヒルが著書「悪魔を出し抜け」で紹介された自分の意思を持たず、時代や他人の意見に流される無定見な人のことをいう。

SNSなどに投稿してみては人の問題指摘をしている。指摘はするが自分でやり遂げたことはない。何でもコメントが、何をやらせても大したことはできない。かと思うと流れができるとそれに乗っかり同調する。異論が出ると激しく攻撃する。自身教の歪んだ正義と簡単に同調する他信教の貧しい自我が流される人の特徴である。

コロナ禍における行動もしかり。テレビの報道を真実だと疑問を持たずに受け入れる。逆に、SNSの風聞だけを信じ自ら考えない。根拠がない噂を信じそれを拡散する。怪力乱神ばかり語るのです。

基本的にはそういったものと縁を持たないようにしなくてはいけないが、流される人が同じ組織にいるような場合はそうは簡単にできない。定見を持つ君子に対して低次元の者は攻撃してくる。悪知恵の働くものは裏で糸を引く。金次郎が青木村に仕法を行う際に、反対派の農民に敵対され名主と役人は裏で手を引き反対した。疲れ果てた金次郎は成田山に籠り一円融合の考えに辿り着くのです。

君子の道

一円融合

 成田山に籠った金次郎はこれまでを振り返りなぜ反対するのかを考えた。そして、反対する立場の者は反対する理由がある。「復興事業を妨害する人間は悪人だと思っていたが、そうではないー反対者には反対の理由があり、反対者が出ることはまだ自分の誠意が足りず、反対させる原因が自分の方にあるのだー見渡せば敵も味方もなかりけり、己己が心にあるぞー打つ心あれば打たるる世の中よ、打たぬ心の打たるるは無し」このように善悪、強弱、暗く、禍福、幸災など対立するものを一つの円の中に入れ相対的に物事をとらえる。そして完全な一円になった時に初めて実を結ぶ。こうした考えが一円融合である。

金次郎のような境地に辿り着くことは難しいが、困難な状況にであった時は自分の状況を振り返り姿勢を正すことは必要であろう。

正しい大と定見を持つ

大分流

 リーダーとして正しい目的を持つことの重要性は言うまでもない。正しい目的は2つのことが含まれる。不易流行の不易として変わらず持ち続ける価値観や理念のことである。もう一つは、環境変化の手段として変わる流行の目標である。ATOOSでは目的を考える際に行う大分流比因人がある。この内の大分流で検討するとよい。詳しくは目的のマネジメントで解説する。

狭義の定見

 ここで説明している定見は戦略だが、狭義の定見はものの見方である。正しい味方に定まれば正しい行動ができ、無定見ならば常に危うい。しかし定見も偏った見方であれば我見となりこれも危うい。我見とならないためには、自然と人間の法則を理解しておく必要がある。ATOOSでは、集団的問題解決を図る際に意識して行うことが必要だと思われることを原則という。そして、意識しなくても自然に取り巻いて影響を与えてくることを法則といい説明している。

GIVEが優先の原則理解が優先の原則相乗効果の原則なべ底の原則の4つの原則と、散消の法則繰り返しの法則友類の法則復元の法則らせんの法則行動変化の法則の6つだ。説明すると長くなるので因果心事による集団的問題解決原則・法則編の記事を読んでほしい。

原則と法則を理解して定見を持ったとしても問題は起きる。価値観が異なる者との軋轢や同じ価値観であってもものの見方が異なり、それが問題を生む。もう一つ、           ATOOSの考えに因果心事がある。問題解決の考え方であり、心と事の因果を細かく見ていき、その原因を見つけ対処する考え方だ。要点としては、先ず人は問題の外側を変えようとする。その詳細を紐解き真因を見つけ出せれば対処できるかもしれない。しかし、問題によっては自分の力が及ばなかったり自分からの立場ばかりに偏って原因を見ることしかできない場合は、己を変えるしかない。己の行動の原因が変えられなかったら、己の心を変えるしかない。これもここでは説明を省くので因果心事の記事を見てほしい。

私淑

 過去に良い上司に巡り合わなかったと嘆く人もいる。確かに、良い人との縁は人の人生を大きく左右する。そう嘆く人に聞きたい。自分から探し求めたのか?という疑問だ。幻冬舎の箕輪氏見城氏を本の出版に説得できて幻冬舎の入ったのも箕輪氏の行動力だ。自分自身が良い上司でなかったら、会社を飛び出して探しに行く勇気はあるだろうか?

 もう一つ聞きたいのは、過去に師を求めたか?という質問だ。生きて直接言葉で教えてくれる人ばかりが上司や師ではない。遠い昔や現代でも素晴らしい人物を紹介した本に出合うことができる。私の場合は二宮金次郎だ。ありがたいことに多くの書籍がある。本人が書き残したものもあるが、ほとんどは影響を受けた人が金次郎の言動を残している。その書籍や資料を通して想像する。

 金次郎が叱責していて、自分に当てはまるのなら自分の向けての言葉として読む。金次郎が苦しんでいるのなら自分も身をよじりながら耐えて読む。金次郎が何かを掴んだらどうして考え付くことができたのだろうかと様々に思案しながら読む。

 このようにして、書籍や資料を読めば自分に直接教えてくれるように良い師と巡り会えた喜びが誰にでも得ることができるのだ。この辺りも私のサイトの記事自己鍛錬論による一人で学ぶ力で紹介しているので参照してほしい。

守って作らず

 良い教えを得たのならそれを守り新たに作らないという考え方がある。守りの戦略もそのようなことは多い。古くの知恵の蓄積は膨大だ。音楽ならクラシックは、ほとんどの旋律を既に表しているという。なので、過去を探求するのではなく新たなものを作れという人もいる。しかし、まったくの再現ではないとすると必ず新たのことを追加修正しなければならない方が多い。なぜなら、環境が違う、道徳が違う、法律が違う、道具が違う、ほとんどが昔とは異なっているのだ。やはりここにも不易流行は重要なのである。

中庸のとどまる

 中庸というのは物事の真ん中、中間、間のことだ。リーダーはそこにとどまるように心がけるようにする。人には良い時と悪い時がある。良い時は物事が進むが、悪い時には進まなくなる。当たり前だがそれではばらつきが出る。ばらつきがあればむらが出る。むらが出れば周りも不安になる。常にどっしり構えどんな状態でも同じように行動しているというのは周りにとっては安心だ。では良い考えと悪い考えではどうだろう。中間の考えがいいのか。これはそうではない。至善に止まるは異なる。相対的な利ではなく絶対的な義に止まるのだ。

教化の行い

 リーダーは、率先垂範し従業員の模範となることが必要だ。報徳外記教化鶏晨回邑といって。官吏は朝早く起きて村を回り農民が農事をきちんと行っているかを見て回る。一般に置き換えて、単に朝早く現場に行けという話ではない。早起きするというのは怠情にならずに与えられたことを勤めるということだ。そして現場に行って、口先で命令するのではなく環境を整えるのがリーダーの仕事だ。そうすれば、怠情を持つ者は自分の行いを反省し真面目に働くようになる。

過ちを見直す

 リーダーも時には過ちを犯す。大事なのはその後だ。過ちが過ちなのでなく過ちをすぐに正さないのが過ちだ。現代の社会でも同様である。誤って言い訳すると、必ず誰かがそこにある嘘や別の過ちを見つけてくる。すぐに認めれば謝罪で済むことも誤魔化そうとすることでより大きな責任を取らされる羽目になる。人によって過ちの仕方が違う。仁者の過ちは人への思いやりが過ちを起こし、不仁者は軽薄ゆえに過ちを起こす。また、上司に接する時も隠したり、がさつだったり、目を見ないで話すのは過ちと考える。

詳しくは別の記事に論語マネジメントによる仕事の改善があるので参照してほしい。

これまで守りの戦略を説明してきた。何度も述べてきたが守りの戦略は自分たちの価値観を守るための戦略である。しかし、単なる保守ではない。ブレないことが良いことという風潮はあるがそれは間違いだ。ブレないところと環境に合わせて変わることをきちんと分けて行動することだ。

普遍的マネジメントの各マネジメントにおける内容も温故知新で様々だ。この後は、変えるべき戦略攻めの戦略を説明する。

【後編に続く】