報徳仕法による貯蓄をつむ法

貯蓄をつむ事

 

外記興復第八に、「日掛け繩ないで余力を積んだり、余財を貧者に推譲したものについては、おのおのその倍額を支給して義倉の資金とさせ、あるいは戸数人口を計って備荒用の米を支給し、飢餓に備える。これが貯蓄を積む道である。」とあります。

 

日掛け繩ないは、内職や副業みたいなものなのでしょうか?。そうではありません。

 

外記勧課第九に、「衰村を興すには必ず先ず怠情を作興すべきである。怠情を作興するには、索綯日課の法による。この法は細民の誠意不誠意を試み、名主の正邪を察し、小を積んで大となすを教え示すものである。」

 

怠情を作興するためには小さく簡単なことから始めさせるのです。

 

同じく「ああ、索綯はいたってたやすい仕事である。いやしくもこれを心掛けさえすれば、独り者でも飯炊きの間に出来ることであり、女子供でもできることである。このように至って易しいことでさえ、なお勉励の心がないならば、何をもってその家を建て直し、その村を復興することができようか。」

 

名主の正邪を察すということはどういう意味なのでしょう?

 

同じく「次に名主の正邪を察すとはどういうことかというと、~もし(名主)が私心を公の銭穀会計に差し挟んだり、法の裏をかいた処置をしたり、或いは不条理に村民を使役したりすれば、細民は表向きその非をいわなくても、陰に疾病とか事故とか称して日課を廃する。それは丁度影が形に伴い、響きが声に応ずるようなものである。これによって名主の正邪が察することができる。

 

名主は村のリーダーだけどその地位を利用して悪い行いをすることがある。それが時に復興の妨げになります。

 

外記挙直第十一に、「衰村の民というのは、必ず本業を怠り、末作に走り、遊情に甘んじ、酒や賭博を事とし、そうして腹黒く悪賢い者が名主となる。」

 

自譲は自分への蓄えです。自譲は自分の余剰を貯めることですが、もともと生まれながらにして持っている徳は違います。こと経済に関しては持てる者持たざる者の差は開いていきます。

 

二宮翁夜話第百四話に、「二宮尊徳翁は、次のように話された。

国家の盛衰存亡は、人々が自分の利益を確保するために、激しく争うことが原因であることが多い。

豊かな人は、十分に足りたと自覚せず、世の中の人を支援するという考えを持たずに、既に多く持っているにもかかわらず、今以上の財産を求めて、自分勝手な行いをするために思いを巡らす。しかも、現在の状況にあることに関して、恩も感じず国への恩も思わない。

貧しい人も、何とかして、自分に利益をもたらそうと考えるが、工夫が足りないので、村の経費負担を治められず、小作料も払えず、借りた金など返せない。富める者、貧しい者、友に恩義正義を忘れ、願っても、祈っても実現できそうもないことを望みをかけて、争っている。その見込みが外れた時には、破産という、大河の浮き瀬に沈むようなことになる。

この大河も、その怖さを認識して入った時には、おぼれ死ぬなどということにならずに、向こう岸につくとか、浮かび上がって戻ることができる。しかし認識なしにこの大河に入った時には、再び浮かび上がることなく、命を終わらせることになる。可哀相なことである。

私の教えていることは、世間からこのような弊害を取り除き、世間をできるだけ安楽な地に変えていく方法である。」といいます。

 

 

格差をなくすと経済的な能力がある人々が能力を発揮できず全体に損失だという考えがありますが、でもセーフティネットを準備し、簡単に破産しても生活できる法律があると全体に損失も生まれます。

 

他譲は、単に世のため人のためといっている訳ではありません。他譲は公益への参加です。または、将来への備えです。

 

二宮翁夜話第十三話に「倹約を勧めているのは、事件や異変に備えるためである。」とあります。

 

「余財を貧者に推譲したものについては、おのおのその倍額を支給して」とあるのは、推譲の心が小さくなって消えてしまわぬように、時として他譲の心を促進する方法としてこのようなことを行うのだと思います。

そして、「義倉の資金とさせ」とは、義倉とは村の公共の倉庫であり、そこに災害時の備えとして備蓄するのです。その義倉の中には、米、麦、稗、大豆、雑穀を一人五俵を備蓄し、義倉は土蔵造り林の中に立て屋根を木が覆うようにし、そして義倉の表には大凶作でなければ決して開けてはならぬの張り紙を張っておきます。

 

外記備荒第十七に、「三十年に一度小さい凶作が来、五十年に一度大凶作が来る。~ここに一町歩の田があるとき、その十年の収穫量を調べ、その中をとり、これによって分度を建て、三年拘束して一年分の食を余すという方を守れば、大凶作はもちろんのこと、不虞の災害が並び来ても、どうして憂うることがあろうか。~とはいっても愚かな民は、その法を知っていても、予め備えるというのができないのである。」とあります。

 

いざ、災害や基金が起こった時の対応も考えておきます。

 

外記備荒廃第十八に、「これを救うに法がある。まず、その領村の中から飢えの迫っている村を投票によって選ばせ、村民を三段階に分けて上を無難、中を中難、下を極難とする。そして領民に分かるように諭すのである。~貧困で飢えに迫るものは、自ら天罰を受けたものであって哀れみをかけるのに足りないのである。しかしながら、代々同じ村に住み、同じ水を飲み、同じ風に吹かれ、病気には助け合い、死ねば弔い合い、苦楽を共にしてきたのは、一朝一夕の縁ではない。~汝らはこれを救う気持ちはないか。~無難の民は日に五文を積み、中難の民は日に三文を積み、極難のものは日に一門積んで五年かけて返済するがよい。」

 

尊徳は備えの備えとして日頃から、回村して村民がちゃんと準備しているか見まわるのです。

 

同じく「その村を巡回し、家毎の貯蔵米を検査し、一人一日五合の割合として、不足しているものには足し、あるいは孝悌なものには冨家に下僕として奉公させ、強壮なものには荒地を開墾させて口糧を得させる。また老少病弱なものには、これを仮小屋に集めて養い、翌年麦の取入れが行われるようになって米銭を与えて帰らせる。このように賑貸救荒の法の術施すならば、一国の天民は悉く天命を全うすることができるのである。」

 

単に蓄えるだけではなく、日ごろの情報収集も大事です。尊徳は、米相場に若手を起用し日頃から細かな情報収集をさせていました。また、尊徳自身も収穫された茄子の味の変化から、飢饉を予測し、事前に米の買い付け行いました。翌年に予想通り飢饉が発生しましたが、飢饉による相場高騰の被害を最小に抑えることができました。

 

現在への適用のしかた

 

応用方法な中で財務的には一番重要なところです。しっかりと考えていきます。

 

現代の日掛け繩ない

 

日掛け繩ないは、現在でいうところの収入増加のための改善策です。夜空いた時間を使って繩を編むわけですので、現在に置き換えると現在あるスペースや時間を活用して収入増加をしていきます。

一割の増加を目指すのなら現在の陳列商品を売れない方から二割減らし、三割の新商品を陳列していきます。ここでは、分かりやすくするため処分費は考えないこととします。

ここでのポイントは、仕入れコストをなるべくかけないことです。米農家にとってはワラは廃棄物です。空いている時間で、コストをかけず、すぐに収入に結びつくものを探すことが重要です。

空いている時間ではなくて残業をさせると残業代が発生します。そのような時間がなければ、優先順位の低い業務を見直し、時間を作っていきます。

新たにコストを掛けないためには、例えば飲食店が仕入材料を買わず、お客様に材料を持ち込んでいただき、調理だけを提供する方法です。夜だけ営業しているのなら、日中はカレー屋さんに店貸しする。洋品店なら、アクセサリー作家の作品を場所貸しして販売手数料を貰う。これならば、仕入れコストは発生しません。

すぐに収入に結びつくというのは少し難しいのですが、飲食店なら店頭でサイドメニューなどを販売する。小売店なら、レジ横に見切り商品を陳列する。工務店なら、余った材料で小さく手頃な家具を展示販売する。などがあります。手頃な価格というよりより安く提供することで即効性を狙っていきます。コストを抑えているので安く提供することも可能でしょう。

なるべく小さなことから始めます。収入を求めて行うだけではないのです。怠情を作興するために行うのです。衰退している企業の従業員は怠情が染みついています。その怠情を作興するためには、小さく簡単なことから始めさせるのです。

ATOOSの自己鍛錬論による指導論の「礼」でも紹介しておりますが、掃除や道具の整備も怠情の作興に役立ちます。単純作業をすることで頭が空になり内省を促すことができるのです。

 

命分と事業構造転換

 

しかし、一割では足りないとするのであれば、それは事業構造転換です。アンゾフのマトリクスで考えていきます。既存商品と市場、新商品を既存市場、既存商品を新市場、新商品(多角化)を新市場の4象限になります。日掛け繩ないは、当てはめれば既存商品を新市場となるでしょうか。同じように現代に当てはめてみますと既存商品を新市場となりますと、ケータリングサービスがあります。これまでの来店客だけでなく、来店できない高齢者、少しお店から離れているのでなかなか来店していただけない顧客をターゲットにすることができます。ただし、ケータリングサービスを行うための車やバイク、人件費、備品代、チラシなどの販促費がかかるので損益分岐点をきちんと把握し、分度を立て、かかるコストを倹約し、計画通りに行かなければすぐに見直し、倹約したコストを自譲して利益とするか、他譲して再投資するか、お客様へ還元するかを想定して進めていきます。これが「終わりを初めに尽くす」ということです。

ただし、注意が必要です。一割で足りないと考えるのは本来の事業が苦境に陥っているから一時的に参入し回復した際には本業に戻るのが基本であるということです。

二宮尊徳の思想には、人には命分があり、それを見つけ、活かしきるという考え方なので事業構造転換は命分から外れるになります。しかし、事業構造転換ではなく新規事業を行うことが命分となれば可能となる訳です。

そのためには、できるだけ積小為大で、できることを積み上げていく必要があります。いきなりすべての商品と市場を既存商品市場から新商品や新市場にずらすと50%ずらすことになります。これはかなりの転換になってしまいます。これを半分の20%の商品と市場を対象にすると10%の転換で済みます。

また、ずらす幅も小さくし、既存商品市場の中で少しだけ機能や味を変えてみたり、少しだけ用途や使い方を変えてみたりして提案するのです。

このやり方を実践しているのが日東電工です。三新活動といって1960年代からスタートして活動を続けていますので、やり方を熟知し、製品や技術を売るというよりもずらしを売っているといっても良いと思います。

まさにこれが命分です。いきなり新商品と新市場に飛び込むのではなく、積小為大でその行いを自らのシステムに刻み付け、風土とし、命分にするのです。

 

余財の積み方

 

余財は分度を守り積んでいきます。分度とは、提供技術の報徳仕法雛形で説明しましたように。「分を守るのに道があります。度を立てることです。度を立てるのに道があります。節制することです。」

分とは、予算のことですので予算内で納めることを分内といい、逸脱したものを分外といいます。財政的に困難になった場合は、10年から5年程度の最低日必要な支出の平均を出します。度とは分の限度を決めることです。節制するには、一年の歳入を四分にして、その三を用い、その一を余して貯蓄とする。先ず、支出の四分の一を貯蓄に回すのです。

そして、あとの四分の三は、十二に均等して一か月の用度とし、それをまた三十に分かって一日の用度とします。決して決めたら変えてはいけません。

 

投資も分度からはじまる

 

今度は個人の財務を考えてみますと分度が重要です。「ETFはこの7本を買いなさい 世界No.1投信評価会社のトップが教えるおすすめ上場投資信託」 朝倉智也(ダイヤモンド社)では、利回りの中で生活していくことを勧めています。1億円の6%600万円余収入にし、400万円で生活していけば1億円を減らすことなく生活してくことができる。普通なら1億の資産がある人は、400万円の支出で抑えないでしょう。でも分度で抑えることができれば可能なのです。600万円と400万円の差額を将来のリスクのために自譲していくのです。もちろん、税金などの他譲も含みます。

 

現在の名主は中間管理職

 

問題のある企業の中間管理職は、正邪に分かれます。。しかし、企業側の問題と本人の問題の二つに分かれます。企業側の問題は、管理が甘く不正が起きやすい環境を作っている。非正規雇用の拡大に伴い、中間管理職にしわ寄せを押し付けサービス残業や過剰労働を強いることです。本人の問題は、業者からの賄賂などの受け取り、仕入れ商品の横流し、売上金の横領です。

罰則で規制する方法もありますが、教育こそが最大の防止策です。

 

リスクに対する備え

 

外記の中で三十年に一度小さい凶作が来、五十年に一度大凶作が来る。とあります。江戸時代の頃と現在では、環境が違います。飢饉はほとんど起きません。1993年に記録的な冷夏が起こり米不足が起きました。政府な懸念して外米の輸入を行いましたが日本人の口に合わずほとんど消費されることはありませんでした。既に日本人の米の消費は低く、他の食品に移り変わっているのです。

その他、農業技術の進歩、輸入による代替、政府による援助で賄える状態を作り上げてきたのです。しかしながら、他のリスクにはまだ脆弱なところは多くあります。

それは経済危機や疫病の流行です。バブル崩壊、ITバブルの崩壊、リーマンショック、そしてコロナ禍、約10年ほどに1度世界経済を揺るがせる危機が訪れています。ですから、現在でも十年の収入を調べ、その平均をとり、これによって分度を建て、三年守ってして一年分の資金を余すという方を守れば、経済危機はもちろんのこと、不測の災害が次々来ても、どうして憂うることがありましょうか。

上場は余財を許しません。上場は企業としては目指したいものではありますが、いざ上場すると外部投資家から標的とされることがあります。多くのファンドは、その財務内容から将来のための余財を活用されていない資産と捉え株主還元することを狙いとしております。もちろん余財を積んだ機関の投資家には還元は必要ですが、そうでない投資家達に狙われるのはいかがなものでしょうか。

 

賑貸救荒の法

 

従業員一人一人を目配りして、できれば貯金など状態を本人に確認させ、目標金額を知らせ、不足しているものにはアドバイスし、必要に応じて収入増加の方法を提供します。例えば、誠実な者には管理職に登用し、体力がある者には残業代得させる。また経験のある者には、経験を活かす職にあてて長らく使う。病弱な者には、制度を活用して負担を和らげる。改善提案制度を募って、採用しないものでも少額を与え、採用したものにはより高い賞金を提供する。コストダウンした者には、改善した金額の一部を与える。あるいは副業を認め収入を増やす道を認めてあげる。このように賑貸救荒の法の行うならば、従業員は皆、会社においての天命を全うすることができるのです。

中小企業の生産性が悪いのは、このような工夫をせず、非正規雇用を増やし、職場内格差を生み、信頼関係を気づくことができず、隙を作って不正が行われ、法令順守の掛け声のもとに罰則だけで対処するからなのです。

 

ポートフォリオ

 

報徳仕法における、備蓄する穀物は米、麦、稗、栗などです。特に、稗は数十年貯蔵しても損傷、劣化しないとされます。(夜話百九十三話)

これらから考えますと、事業は収益性ばかりで選んではならず、収益性が低くとも安定性のある事業をポートフォリオに入れなくてはなりません。小さな事業であれば商品や製品に置き換えるといいでしょう。

個人で置き換えると、投資でアクティブファンドの率を下げて、パッシブファンドの率を上げ、できればインデックス中心に投資ポートフォリオを組み立てるということです。