報徳仕法による善を賞する法
報徳仕法の応用方法
報徳仕法雛形で二宮尊徳の仕法の行い方を紹介してきました。報徳仕法は、尊徳の実態的体験に基づいて構築されました。ただし、その改革運動は農業技術、農政だけにとどまらず、商家など適用されています。したがって、これからは復興の切り口で現在への適用のしかたを考えていきたいと思います。
応用方法は、報徳仕法の復興の進め方の通りに、報徳仕法による善を賞する法、報徳仕法による困窮者を恵み助ける法、地力をつくす法、教化を布く法、貯蓄を積む法、の順で紹介していきます。また、各応用方法は、最初に報徳外記の説明に続いて、現在の企業や個人への適用のしかたで説明していきます。
では、善を賞する事から入ります。
善を賞する事
報徳外記興復第八に、「先ず投票によって孝悌・農力で衆に抜きんでるものを挙げ、賞金や農器を与え、また無利息金を貸し与えて家道永安の法を授け、或いは屋根を葺き替えたりしてやって、大いにこれを表彰し、一村の模範とする。これが善を賞する方である。」とあります。
善を賞する事に、なぜ投票なのでしょうか?回村して村のことを把握しているはずですし、尊徳の眼力ならばたやすく賞するものを選べるはずです。
尊徳に「木の根掘りの老人」の逸話があります。土木現場に尊徳が行ったときに一人の人足の老人が飛び抜けて頑張っていた。尊徳はその老人の傍に行き「お前は、私をだまそうとしている。私がこの場を去ればきっと怠けるだろう。人の働きには限界がある。何なら一日ここにいてみようか」といったら、人足は平伏したといいます。
その眼力をなぜ使わないのでしょうか。報徳外記挙直第十に「復興する道は「直きを挙げて、枉れるを錯く」にある。直きを挙げに投票もってするのは自己の判断を用いないで人の意見を取るのである。」といいます。
自己、つまり尊徳の判断を用いると村民は受け身になり考えようとはしなくなるが、人、つまり村民の様々な目で評価すると見えなかったものが見えてくることもあるのです。
また、直きを挙げて、枉れるを錯くとは、報徳外記挙直第十に「怠惰を作興する方法は挙直錯枉にある。すなわち孝悌力田、衆にこえる者をあげて賞を与え表彰し、一村の模範とすれば、怠惰が変じて勤勉の民となる。」という狙いもあるのです。
しかし、これまで投票などを行わなかった村民はうまくできるのでしょうか?
外記挙直第十一に、「わが君の仁慈の御心から衰村復興の法を布かれ、ここに勤倹篤行な挙げて褒賞を与え、家道永安の法を授けることになった。とはいっても、そうはいっても全村戸口は多いのであるから、官の手によって勤情得失を弁知することはできない。そこで汝らにこれを選ばせるのである。汝らは誠心誠意思慮して、汝らの知っている善者を挙げよ。」
と趣旨を伝え、ただしこう注意するのです。
「親戚や仲間同士だといって恣意を以て選んではならぬ。圧力を恐れてはいけない。他人と相談してはならぬ。」
尊徳は表彰するが刑罰はほとんど行いません。尊徳翁夜話第三十一話に「総てのことについて、下方向や楽な方に基準をとってものを言う人は、大体が怠情な人であるから、人生が下向きになってしまう。それを、上方向や困難な方に基準をとってものを言う人は、人生が上向きの傾向である。論語に「一言以為知、一言以為不知」とある。当を得た、もっともなことである」と。直きを挙げて、枉れるを錯くとは善、良、上を伸ばし、悪、下を減らすために行うのです。
現在への適応のしかた
先ず、復興ということは、企業であれば財務が悪化しそれを良い方向に改善していくということです。個人であれば家計が悪化し改善するということです。
また、封建制度の時代と現在とでは相手への伝え方を変えなければいけません。上から下へ伝えるというのではなく、同じ職場のメンバーに伝えるということです。それらを含めて現在に適応していきたいと思います。
360度評価
基本となるのは、上司だけが決めるのではなく周りの意見を聞いて賞する者を決めるということです。今であてはめれば360度評価でしょうか。評価の対象は、会社への利益貢献だけでなく、人間として皆のためになったことを評価するのです。報徳仕法でいえば前者は農力であり、後者は孝悌です。
評価は、直きを挙げて、枉れるを錯くことを目的にしますので、正直さ、勤勉さ、親兄弟思いを褒めて、反対に曲がったものを刺激し正そうとします。
そして、ビジョンを明確に説明し、何の目的で行うのか、なぜ皆に評価させるのかを説明するのです。
ただし、私情を挟まず、周りからの圧力に影響されず、自分の意志で決めなければならないと留意点を添えます。
普通の人は、得失で動くので、名誉だけでなく、昇給賞与に反映させたり、副賞として物を贈呈します。
対象が社員でなく事業者ならば、評価というより表彰となり、昇給賞与ではなくインセンティブなどになるでしょう。
無利息金貸付
相手が事業者ならば、事業には設備投資が必要になります。設備投資には資金が必要ですので、どこかが貸し与えなければなりません。現在は、金融機関やクラウドファンディングまで存在するので、直接に貸付する必要は薄いと思います。
ただし、金融機関は外部なだけ審査が厳しくなりますので、何らかの支援が必要になるでしょう。
まず、利息の分を支援し、分度を立てさせ、勤倹の方法を教えてあげて、成功したら推譲してもらいます。家道永安の法です。
無利息金貸付の家道永安の法の効果は大きく。自譲によって生み出された余財は小田原藩に貸し付けられ無年貢地化することができていました。(二宮尊徳全集15巻P496)
1,000万円の収入がある農家は、当時四公六民の年貢でしたので、400万円の年貢を納めていましたが、仮に2,000万円を藩に貸し付け、当時年2割の利子でしたので400万円になります。それを年貢と相殺します。
金銭以外に賞する方法
資金を貸す以外に、賞する者には現代であれば住宅購入資金の支援や事業者であれば、事務所開設や修繕支援などを行う方法が考えられます。
荒地開墾
報徳仕法の対象となる村の状況は、衰退している村の土地には荒地があり、以前耕作していた農民は重税のために村を離れたか、居ても怠情になり放置しているということです。放置された荒地には新農民を入れ、現農民がいる農地は善を賞して挙直錯枉を行うことです。
しかし、荒地は収穫量が低く開発面積に通常の年貢を取り付けるのが難しい。そこで取り立てる年貢を軽減したり、頑張っている新農民を賞して励ますことが必要になります。
ビジネスでも、力の衰えが見える企業は、既存市場に放置しているエリアや顧客ができてしまっており、そこを深耕しようにも営業担当が退職していたり、深耕するスキルや心構えが失われてしまっているというものです。既存市場の現市場の怠情を教化すると同時に、未対応市場に深耕するための営業担当者を採用する必要があります。
心田開墾
尊徳は、荒地開墾を目的としているが、荒地もいくつかの種類があり、実際の田畑の荒地、借金が膨らみ利息が増えて、実際の取り分がない経済上の荒地、身体や才能もありながら怠情な日々を送る心の荒地、この中でもっと大きいのは心の荒地、心田開墾を重要視する理由です。
しかし、心田開墾は難しい。ものや金と違い人間には誤魔化しや嘘などがあるからです。それを教化しようとすると難しいので、AIや機械化、コンピュータ化などの省力化を求めるのです。しかし、人のいない企業は企業ではなく、ただの箱です。