報徳仕法による困窮者を恵み助ける法

困窮者を恵み助ける事

 

報徳外記興復第八に「貧民や疫病・水火の災いに罹った者も、また投票によってこれを選び、米栗を給して空腹を癒し、或るいは屋根を補修して風雨を凌がせ、或いは馬小屋や便所を造り、且つ営農用の食糧や種子や馬匹を貸し与えて農力を助け、或いは借財清算の法を授け、その利息を留めおいて家政を復興せしめる。これが困窮者を恵み助ける道である。」とあります。

 

借財清算の法とは、どのような方法であしょうか?報徳外記助貸第十五にこのような記述がある。

 

ここに貧民がいる。しばしば不慮の災いに遇い、負債によってこれを補ってきたが、これを償還しようとしても利息を返すのが精いっぱいで、元金を還すに至らないことを遺憾としている。そこで我が助貸の資金を借りて、旧債を償いたいと願い出た。この場合、その負債の元利から、田畑山林の収入、及び一年の経費を詳細に調査して、天命の分度を探り、その利息や贈り物、札物に関する出費の五年分あるいは七年分または十年分を通算して、これを助貸の額とする。もしそれでも旧債を清算するのに不足がある時は、山林及び不急の衣類家具類を売り払うべきである。それでもなお不足するのであれば、貸主の旧情にすがって数年後の返済を約束し、奢怠を改めて勤倹を守り、無利息金の返済の後に、更に助貸を請うてその旧債を清算すべきである。

 

具体的で、もし不足するのであればと先々まで考えられている。しかし、苦しくてどんな苦労も厭わないと思っても借りてしまうとすぐ忘れてしまうのが人間です。そこにも、

 

富者は金を貸して利息をとること利益と考え、貧者はお金を借りて返さないことをもって利益と考え、富者は益々富を求めて奢侈に溢れ、ついに滅亡を免れず、貧者は益々貧に陥って怠情に流れ、ついに流民となる事を免れない。これが国家衰退の本である。」と続きます。

 

金銭だけではなく、衣食住全般にわたって報徳仕法は考えられています。公共福祉です。

 

現在への適用のしかた

 

復興時の際に、困窮者は現れます。飢饉や災害の時に、被災する困窮者と被災していないが、日頃の生活のしかたにより困窮してしまう者もいます。また、日頃の生活のしかたが悪いので飢饉さ災害の時に備蓄がなく、更に困窮してしまうこともあるでしょう。

元々は、日頃の生活や活動のしかたが悪いのだから自業自得の部分もありますが、十分な備蓄をするためには計画された財政と蓄えを貯める期間が必要となり、それが足りない時に飢饉や災害にあってしまう不可抗力的な部分もあります。

組織に格差が生じている場合に、経営に対する経済的なインパクトがあると評価の低い従業員や事業者に対する対応が求められる場合もあります。放置しておくと、不満、軋轢、事故や事件の発生、有能な人材の自主退職、早期退職者の募集、退職勧奨などへ進んでしまいます。

尊徳の時代にも、大磯宿の裕福な米問屋の孫右衛門は、飢饉の際に打ち壊しににあって家を壊されます。現在なら、コンプライアンス違反、会社資産の横領、アルバイトテロなどが発生し、企業に直接間接的に被害をもたらします。

商家の救済

報徳仕法の困窮者救済は、対象者によって救済のしかたが変わります。地主や商家に対しては、元々経済力があり考える力がありながら困窮したのは原因があるのであり、それを取り除かないで救済するならば元に戻ってしまいます。

孫右衛門は、打ち壊しにあった際に、役所に訴えますが、役所は飢饉で苦しんでいる宿民を見ていながら救済しなかった孫右衛門を牢屋に入れます。孫兵衛は宿民や役所を恨んで反省しません。親戚の宗兵衛が尊徳に対応を聞きに行きます。

孫右衛門が大きくなれたのは、飢饉の際の米相場で儲けたためであり、それはすべて自分の力だと思い込んでいる。役所も、孫右衛門に分からせようと反省のために留置しているのにそれも理解せず、逆恨みしている。すべてを反省して、自分の家財を処分して資金にし、宿民にこれまでの考えを謝罪して、資金を利用してもらうよう願い出なさいとアドバイスするのです。

このように、原因の追究、内省、過去の考えの改め、改善策の提案、改善策の実施のプロセスを行わせるのです。

債権整理か民事再生か

事業者が、債権者に対して対応するときも同様です。尊徳の当時も、債権整理する際は、債権に対し財産整理を行い、債権の割合で配当する方法です。

しかし報徳仕法は、復興の進め方なので、どのように再建するかを検討しますので、現在ならば民事再生でしょうか?

しかし、異なるのは報徳金を入れて再建を行う場合があります。

御殿場村仕法報徳加入金

これまでは、農村復興による他譲を行い報徳金を基金としていました。御殿場村仕法では、商家、宿場の人々の報徳金なので、勤倹譲の対象は交際費や衣食住を倹約したり、何十年も前の借り入れを加入金にする者や仕法の趣意に感服したから加入金を差し出すものまでいました。団体や個人まで幅広く加入し精神的に受け入れ広まっていきました。

少し内容は異なりますが、現在のクラウドファンディングはそれに近いものではないかと思います。御殿場村仕法の報徳金の出資割合も上層民による大口出資で基金の大半を構成するも、下層民による小口出資戸数の割合が大半でありました。これも、成功するクラウドファンディングの特徴と近似しています。

報徳金は商業を中心とした御殿場村の下層民に資金提供をし、経営の安定や地域の安全をもたらしました。しかし、報徳仕法をきちんと理解せず、借り入れの手段としか見ていない村人が多数いたようです。クラウドファンディングも資金調達手段として、成功する調達方法ばかりを宣伝している方もいますが、注意が必要でしょう。

農民への救済-桜町報徳仕法-

困窮者を恵み助ける法と聞くと弱者救済の方法と感じやすい。無論、尊徳は飢饉や飢餓に遭遇した弱者を多く救済している。しかし、弱者救済はそれ以外の層から反対を受けやすい。現代の日本でも生活保護受給者に対する意見は厳しいものがあります。当時も同じような意見もあったようで、そのため報徳仕法は様々な層に報徳金が融通されている。

百姓を上々、上、中難、極難、極々難に分けて、上々、上のものに対しては暮方の安定を目的に融通されているものもあります。また、上々、上のものに対して資金を融通することによって下層民に対しての融通や助け合いを助成するきっかけとなりました。

中難者に対しては、自立、安定、上昇を目指したものです。田畑を多く持つものでも、高利貸しから多額の借金をし、更に基金や災害に合うと当時は容易に潰れ百姓になってしまったのです。ですから、借財清算の法の中心となる事で村全体の安定につながっていくのでした。

極難者は融資を受けて高利貸しに返済してもやがて田畑の貸主の上層民に質地という関係に陥ってしまう。つまり、高利貸しから上層民に貸し手が変わっただけの関係になり、仕法金を入れることで格差を増大してしまう。ならば、上層民へ報徳仕法を入れ極難者を助けるという条件を付ければ、それをとどめることができました。

極々難者は、融資の対象とならず救済の対象となります。援助という形で衣食住を期間限定で支援するのです。下層民は困窮すると、村を離れ離農し、それによって荒地が生じるのですから、仕法の編成に組み入れることで働き手として復興の担い手となるのです。

このことは、救済というと下層民以上が不公平に感じそうなものですが、放置しておくと裕福なものを打ち壊しするか、離農してしまい荒廃が進むかの選択を迫られるので、合理的な選択でもあるのです。

報徳仕法が目指したのはかつての小農への回帰でも中層農のみのフラットな村でもなかった(報徳仕法と近代社会 早田旅人)

現在のコロナ禍の様々の支援を見ていると、被害の程度を分けてその程度によって支援や救済をしようとすると、妬み僻みが出てきて一律給付となってしまい、生活が困窮しないので貯蓄や投資に回され、株価などが上がるだけで格差が広がってしまう。

報徳仕法は階層分解の展開により多様な生業の人々が出現する当該期の地域の状況を前提に、各層百姓の多様な経営に合わせた再建をはかり、彼らを荒地開発・村復興へと編成した。必ずしも農民とはいえない人々も抱合したうえでの村の再建である。この点、報徳仕法は「家」の個性性、経営の個別能力を重視し、個別性を強めた家と家のつながりによって成り立つ村落」を目指したという深谷克己の指摘が示唆を富む。そこに武家から商家まで多様で広範な人々に指示され、実践された報徳仕法の時代性と普遍性があろう。(報徳仕法と近代社会 早田旅人)

現在のように政府や地方自治体任せの復興や経済支援では地方や企業や個人の個性性を配慮することができず、あちらを立てればこちらが立たずに陥ってしまう。