因果心事による集団的問題解決ストーリー編1

終わりの始まりか始まりの終わりか

 

あい子は急いでファストフード店に向かっていた。い子と、うき男の待つ店にだ。あい子の働いている店は人件費をぎりぎりに絞ってあい子一人に任せている。あい子の店だけでなくチェーン店なのでどの店も同じようだった。だから、夜中の友達との待ち合わせでも時間に遅れることは多かった。

 

店に行く途中に外でたむろしている若者は多い。日本でも今は働く場所は少ない。特に若者の就職率は低いので暇を持て余した若者が深夜の街をうろつく。世界中でこの十年でAIが仕事を人から奪っており北欧諸国や資源がある国はベーシックインカムを導入しているが日本が財源がないので議論をしてもまとまってはいない。

ここ十年で進んだのは外国人労働者の受け入れだ。しかし、給与水準の低い日本に誰も来たがらない。だから、外国人労働者に対しては日本政府が割増賃金を負担している。それに対し、若者は反対しているが選挙に行かないでSNSだけで批判しているので政府の法案はすぐに通った。

 

そろそろ、あい子がファストフード店に着くころだ。

「ごめんね!遅れてー」「大丈夫だよー」と良子と、うき男は恐縮しているあい子に伝えた。良子が「うき男が会社でリストラにあうらしいので聞いてたところ」と言った。「なんで俺ばっかりこんな目にあうんだろう?」と言う。たしかに、うき男はここ数年で3社リストラ、倒産、M&Aによる事業撤退で首になっている。

良子は数年前に親の介護で正社員からアルバイトに移って、夜学に通っている。良子は今夜もも夜学の帰りである。

「みんな大変だね。コーラを飲みながら愚痴言って発散しよう!」とあい子。

「あい子は相変わらずあっけらかんとしてるんだから。」と良子が言う。あい子はいつもこんな風に場を和ます。

「だって、昔に幼稚園の先生が言ってた。嫌なことがあっても元気に遊べば忘れるって」とあい子。

「でたでた幼稚園の話!」とい子。

「あい子はのんきだなー。膀胱炎でおなかが痛いくせに」と、うき男。あい子は一人でお店で働いているので勤務中にはトイレに行けず膀胱炎に苦しんでいる。

「学校で厚生労働省がブラック企業リストを公開していて、労働基準監督署に訴えれば指導が入りそれでも改善されない場合はブラックリストに載るらしいよ」と良子。良子は学校で経営学を学んでいるので少しこのようなことに詳しい。

「そうだそうだ!ブラック企業は公開処刑だ!」と、うき男。うき男はブラック企業で働いていた過去があるので感情移入は強い。

「でも少しづつ改善しているのよ。この間も、本部の社員が各店を巡回して個店で働く従業員の休憩や休みの対応をし始めたところなの」とあい子。あい子は他の個店の従業員の体調を聞きまわり、あい子のように病気にかかる人がいないか、そんな従業員がいることによって退職に繋がり新規採用の悪循環になってしまうことなどを会社側に説得し巡回の改善に至ったのだ。このような姿勢をあい子に対して会社は昇給や昇格の条件を出したがあい子はもう少し自分を指名してくれるお客様に対応を続けたいとこの申し出を断ったのだ。

「ばかだ!せっかっく楽な仕事につけるのにあい子は断ったんだろ?俺なら即受けるね」と、うき男はまた感情移入した。

3人の会話はいつもこんな調子だ。あい子が常に前向きで周りのことを放っておいたりせず常に気にかけ、問題があれば解決のために行動する。良子は学校や自分で学んだ知識を基にアドバイスする。うき男は知恵もなく運もないのでいつも問題を持ちかけるが、あい子のように自分を犠牲にして行動することが分からない。

 

近くの席からパッシャーンと水のこぼれる音が聞こえた。

「外人なんか日本に入れんなよ!俺たちの税金使って給与払って俺たちの働き口がないっておかしいだろ?」どうやら怒りに任せて紙コップの飲み物を払ったようだ。

「江田マンが言っているように外国人でなくもっとAIやロボットを使って働かせてそこから税金をとってベーシックインカムで若者に払えばいいのさ。年金の財源と切り離し年金は高齢者に使って足りなければ支給を減らし、世代間で支援はしない。これが最高の政策だよ!」江田マンとはもともとベンチャー企業の経営者で今は様々なメディアで若者向けに情報発信している人だ。江田マンは若者に人気があり多くの信者的なファンがいる。ファストフード店ではこのような江田教の信者の会話をよく聞くことが多い。江田教と言ったが宗教ではない。江田マンは宗教を否定しているし、自分で教祖と言ったこともない。ただ信者的なファンを相手に書籍、オンラインサロン、クラウドファンドでつながっている。SNSは信者でないものと過激なやり取りをきっかけに世間が注目しその中から信者化していくという流れのようだ。

信者になるものも基本的には似ている。保守的で比較的経済力があり自信家で、しかし主義主張が浅いのでそれを言語化してくれる江田マンは都合が良いのだ。上手く俺の言いたいことを表現してくれるのは江田マンなのだ。

 

隣の会話を聞いていたうき男は言った。

「江田マンは詐欺師だ!俺は江田マンの言葉を信じて8年前会社を辞めて地方でネットでやって生きていこうと思ったけどほんの数か月で収入は何分の一になり東京に戻ったんだ。」

「そう言えばそんなことあったね?あの時に若い子の多くは江田マンの言葉を信じて地方に行ったんだよね。でも多くが同じような動画編集やせどりなどをやるもんだから競争が激しくなり価格競争が進みレッドオーシャンになったのよね?」と良子。

「俺は海に行ったつもりはなく地方の山へ行ったんだー」とうき男は噛み合わない受け答えをした。

 

新規事業のあいさつ

 

あい子の店はロボットを中心とした飲食チェーンだ。名前をラッショナルという。あい子は一人で任されているので店長という肩書だが下はいない。遅番の店長か早番の店長かであるその間の時間は巡回の社員が中番の店長を務める。

10年前の疫病の世界的なパンデミックがあってオペレーションは自動化され店内はロボットがサービス、清掃、防犯、監視をしている。お客が入ればロボットがオーダーを取り、その瞬間に厨房のロボットが調理を始め、出来上がったら店内ロボットが料理を受け取りお客のテーブルまで運ぶ、店内で異常があればロボットが警備会社へ連絡し事件や火災があればロボットを介して監視している本部が警察や消防に通報し対応を待つ。お店の状況はすべて本部が監視できるシステムだ。初期の頃は店舗ごとに監視する社員がいたがAIが普通の行動と異常行動と識別できるようになり今は十分の一ほどの社員で対応している。

以前はロボットが接客するとお客もおもしろがったりロボットにお客が要望を伝えることがあったのでマーケティングに活用されていたが、今のお客はつい監視の手を緩めるとロボットや店を破壊したり汚濁する。ある専門家は雇用の悪化や増税による影響で人心の荒廃が進んでいると言っていた。

法律はまだ無人店舗を許可するまで至っていない。またこのようなロボット化している店舗は都市部の店舗だけである。

 

あい子の店に巡回の社員とともに一人の男が現れた180㎝を超える身長でがっしりした体形だった。見た目から50才前後のように見えた。あい子は緊張した。こういった年齢の人とはあまりコミュニケーションをとったことがない。あい子は離婚した母親のもとで育った。これまでの職場も同年代ばかりとコミュニケーション取っていたので自然に緊張した。

男は巡回の社員と少しの会話を終えるとあい子の前にやってきた。

「私はこういうものです」とその男は名刺を差し出した。

経営コンサルタントという肩書と稲葉一明という名前と住所と電話番号の異常にシンプルな名刺だった。

男は「あなたは会社の昇給昇格の条件を受けなかったようですね。どうしてですか?」と言った。

あい子は少しパニックになった。唐突な訪問。なれない世代男性との会話。愛想のないあいさつ。

とストレートな質問。しかし、気を取り直して落ち着いて返事をした。

「それはこの店に来られる固定客様を大事にしているからです。」とあい子。

「ほう、こちらの店の固定客はずいぶん乱暴な方々のようですね?」と店を見渡しながら質問した。店の壁や椅子やロボットなどにお客からの暴力被害の跡があるのだ。

「これは固定客様からされた訳ではありません…」なぜかそういった返しが精いっぱいだった。

「それに同じような他の店のスタッフがいます。その人たちを手助けしたいのです。上司という立場ではなく、同じ立場のスタッフとして手助けしたいのです。」と自分でも驚くほどきっぱりと言った。

男は、「それはあなたの助けたいというエゴです!」と静かに、相手に有無を言わせない言葉だった。

あい子は先ほどよりパニックになった。助けたいとエゴという言葉が結びつかなかった。

あい子が呆然としていると男は「新規事業に参加してください」と言った。

もう、あい子は完全に理解の限界を超えていた。

 

男の正体

 

その男の子は7歳で立派な家に両親と住んでいた。世はバブル経済で賑わい男の子の父もその恩恵を受けていた。家には外車が2台、マリーナにはヨットが停泊し月に1度はクルーズした。普段は忙しく少しの暇を見つけて相手をしてくれる父は男の子の理想だった。

しかし、まもなくバブルは崩壊し外車もヨットも父もなくなった。

しかし、男の子の頭の中では経済的な知識もなくバブル崩壊とともになくなった資産や父がいなくなった理由を探した。

母親の実家に世話になることが決まったが母親の実家は裕福ではなく貧乏を絵に描いたような家だった。男の子が持っていた高額なおもちゃや洋服もなくなっていた。ある日友達が実家に遊びに来た。多分母親が離婚以来、ずっと家に引きこもっている男の子を心配して友達に声をかけたようだ。

外から聞こえる名前を呼ぶ声に男の子は耳をふさいだ。出れない。着ていく服も遊びに行くための外国製の自転車もない。早く帰ってくれと心の中で叫んだ。

 

男の子は友達との交流は少なくなったが勉強には励んだ。男の子は資産や父を失った理由が知りたかった。

男の子は本代や近くにない本を借りるための交通費が必要だった。家にはそんなお金がないので目をつけたのは中古本の売り買いの差額だった。昔ながらの古本屋と中古書チェーンには買い取り額に差があった中古書チェーンは多くの本が必要なので買い取り額は高く昔ながらの古本屋で購入してチェーンに売って利ざやを稼いだ。売る時には母と同伴したが申し訳なさそうにする母に自慢して何でもないように装った。チェーンが飽和状態になると買い取り額は下がって利ざやは取れなくなったが男の子には売り買いと価格の関係、店の数と価格の関係が分かった。月数千円ぐらいは利ざやがあったので本や交通費に当てられた。

 

高校生になるとバイトができたのでバイト先を探した。しかし、時給で働いても経済的な知識を得られない労働と対価を交換するだけだ。そこで、歩合給の高い外国製の業務用の洗剤のセールスを行った。業務用ということで会社巡りをした。顧客は最初は学生がアルバイトで訪問してくることを訝しがったが、しっかりとした商品知識で提案してくる学生に対して感動してたくさん商品を購入してくれた。そして、卒業したらうちに入社してくれと再三言われた。この経験の中で提案営業のしかたや個人よりも会社と取引する方が利益が大きいことを学んだ。

 

大学生になってインターネットが普及し始めパソコンを使ったCDショップでバイトで働いた。時間給だったが大学が遠く高校生のように時間が取れなかったこととパソコンやインターネットに関しての知識を得るためにその店を選んだ。秋葉原にあったのですぐに多くの知識が得られた。

しかし、その店の採算は悪かった。彼は思った。

「この店は、いつまでにいくら売るということを従業員に知らしめていない。新品や中古、個人向けや法人向けの商品を取り扱っているが対応のしかたや担当者を分けていない。中古品の買取を行っているが売り切るまでの流れができていないので不良在庫が収益を圧迫している。

他にも検討する余地があるな」

この頃になると彼は自分なりにこうすれば経営が上手くなるというノウハウを独自にまとめていた。

少しすると決算のための在庫棚卸しの時に経営者がやってきて店のスタッフにに激を飛ばした。そして最後に収益改善のためのアイデアがあるかと質問してきたが、その顔はあまり期待しているようでなかった。彼は手を上げたこういった。

「このお店ではいつまでにいくら売るということを従業員に知らしめていません。私は目標を「大」と呼びます。また新品や中古、個人向けや法人向けの商品を取り扱っているが対応のしかたや担当者を分けて対応することでよりお客様にあった適切な対応ができ多くの商品を効率的に売れます。私はこれを「分」と呼んでます。また、中古品の買取を行っているが売り切るまでの流れができていないので不良在庫が収益を圧迫しているので販売量や販売期間に合わせた見切り価格変更を行ってできるだけ売り切るようにします。私はこれを「流」と呼びます。先ずはこの「大」「分」「流」の変更が必要です。」とい一気に言った。それを聞いた経営者の顔が固まっていた。

言い出しっぺの彼は経営者の懇願で役員待遇のバイトになった。お店に来ていた銀行担当が経営者から噂を聞いて質問してきた。

「「大」「分」「流」の話は面白いね?ゼミの教授から聞いたんだね。」と言うのでこう彼は返した。

「違います自分の考えです。「大」「分」「流」だけでは終わりません。「大」「分」「流」を実行した結果、当初立てた目標や計画つまり「大」と比べてどうであるのか、また他店や他社と比べてどうでなのか。これを「比」と呼びます。また、上手くいかなかったらその原因を探ります。これを「因」と呼びます。そして、それを実践する人にその内容を伝え動機づけしてやる気を持たせます。これを「人」と呼びます。ですから、すべて合わせると大分流比因人なのです。そして、大学の学園祭の実行委員で実践してみたところ昨年比で145%になりました。」

その銀行担当者は、先の経営者より固まった顔をしていた。

 

就職した男は大手企業を経験して独立して経営コンサルタントになった。

経営コンサルタントの多くは他人の受け売りで同じような考えを少し変えて提供することが多いがその男のやり方は違った。彼のコンテンツはすべて自分が経験して積み重ねて改良を重ねて培ったものである。だから、本も書かずに新規客をすべて口コミであった。しかし、その男の新規客は固定客になりその男の噂は広がった。口コミで相談する新規客に男はこのような態度をとった。

いきなりアポイントをしても忙しいと断った。何度も連絡しても断られた。

何とか会って話をするがその相談内容が腑に落ちないと直ちに相談は終わるのだ。わけのわからない新規客は知り合いの固定客に真意を聞いた。固定客は、「あなたが本気かどうかを見極めているのです。先生はある時にこう言ってました。改革にはエネルギーが必要です。やる気になってもそのエネルギーが弱ければ「散消の法則」によって消えてなくなります。改革には反対が付きものです。「復元の法則」が働くからです。しかし、自然の摂理に合わせて「繰り返しの法則」のリズムに乗れば改革の流れが続いていくのですと。」

 

新規事業の内容

 

あい子と稲葉はお店を巡回の社員に任せて近くの喫茶店に足を運んだ。

あい子は道すがら稲葉が言った助けたいがなぜエゴなのかを考えていた。すると確かに助けたいという気持ちは私の気持ちを優先しているのであり相手の気持ちではない。だからエゴと言われても当然なのだ。納得したあい子は稲葉に椅子に座るなり伝えた。

「先ほど稲葉さんに言われた通りに確かに私の気持ちを優先したエゴでしたね」

稲葉は「やはりあなたは生知の人ですね。」と言った。

「セイチとはなんですか?」

「生知とは生まれながらにして本質を知っているということです。本題に入りましょう」

「はい」とあい子は言った。

稲葉は御社の新規事業は発端はラッショナルは初期投資がこれまでの5倍ほどかかり投資回収に時間がかかること。都市部は治安が最近悪くなってラッショナルが標的となって破壊活動が行われていて採算の取れるところが少なくなっていること。地方は元々集客力が低いのでラッショナルでは投資回収が低いことなどの理由により人のサービスを中心とした店舗との併存が必要になってきたこと。先ずは人のサービスを中心とする店舗の出店場所と運営方法を検討することが伝えられこれが新規事業の概要だとい言った。そのチェーンはハーテリーと呼ばれた。チェーンは今後ラショナルとハーテリーのダブルブランドを持つことになる。

 

あい子は、「意外ですね。ラッショナルを推し進めてきた自社がハーテリーをまた始めるとは。」

稲葉は「いや。元々御社の経営者はラッショナルをやりたかった訳ではなくハーテリーを続けたかったんだ。その機を探していたのだけど破壊がきっかけになるとは考えてはいなかったようだね。君が以前条件を断った時から経営陣は君がそのメンバーに適任だと思ってと様だ」

「どうかな。やってみるかね?」

あい子には断る理由がなかった。あい子は強く人と人のつながりが大切だと思っている。それを始めるのに自分が携われると思うとわくわくするが、同時に固定客の顔が浮かんだ。

「それは常勤ですか?固定客の皆様が気になります。」

「いろいろな準備があるので6か月後に常勤として働くが、プロジェクトが終了すれば、あい子さんの希望で現在の店舗に戻ることも可能とのことです。」

「分かりました。半年間にお客様に伝え理解してもらいます。参加させてください。」

稲葉は「ではお願いいたします。あと、プロジェクトに参加してもらいたい人はいますか。社内外問わずに?」に聞かれてなぜかうき男の顔が浮かんだ。

 

対話

 

あい子は早速うき男に連絡を取りプロジェクトの話をした。以前短期間であったが、うき男はあい子とは他の店で働いたことがあった。しかし、うき男は「人が人を接客するのが大切なんだ。せっかく紹介してくれたあい子には悪いが俺は辞めるよ。」と退職した。

あい子はその時のうき男の言葉が記憶に残っていたし、リストラにあって仕事がないの困っているのではないかと思って声をかけた。

うき男はあまり乗り気でなかった。なぜなら、あい子に先ほどの啖呵を切って辞めたが別のロボットを中心とした店舗のチェーンに就職した。ばつが悪いのだろう。この件に限らずうき男はいつも理想と現実が違ってしまう。そしてその狭間で苦悩する。あい子は時折相談に乗るがうき男はなかなか変わることができない。もしかしたら、稲葉さんなら、うき男をいい方向に導いてくれるかもしれないと期待を少ししていた。

 

無理やり連れてきたような格好だったがうき男を稲葉に面会させた。

「君がうき男さんですか?始めまして稲葉一明です。」

「はい」とうき男。

稲葉はプロジェクトの話を噛んで含めるようにうき男に話した。

あい子は驚いた。自分の時と違う姿の稲葉が話をしていた。あい子との初対面の時はぶっきらぼうで一方的で笑顔がなかったのだが、うき男に対する稲葉の態度は全く違っていた。少しうらやましく見えた。

稲葉が「うき男さんはお客様ととコミュニケーションをとるのは好きかな?」と尋ねる。

「はい。好きです。」

「でも経歴書には、あまりお客様とコミュニケーションをする仕事には就いていないね?」

「好きなことと仕事は違います。」

「そこのところをもっと話してくれますか?」

「好きなことを仕事にできる人は一握りです。ほとんどの人はそうでない仕事で我慢して生活のために生きていくんだと思います。」

続けてうき男は「そんな風に我慢しても会社は自分の都合でリストラする。ブラック企業も多い。少し経営が上手くいくと従業員の待遇は上げずに自分だけ報酬を上げ高級外車に乗る経営者ばかりです。その繰り返しです。」うき男の声と表情は悲しい怒りに満ち溢れていた。

あい子は稲葉の顔を見て驚いた。目に涙があふれていたのだ。いつも冷静で感情を表に出すことのない稲葉が泣いているのだ。

うき男も稲葉の涙に気づいたようで涙目になっていた。

稲葉は「でもうき男さんはもう一度このプロジェクトにかけてみようと思ったんではないのかな?」

「そうです。諦めたくはないんです。絶望したくはないんです。」

「うき男さんは困知です。困って苦しんで大切なことに出会う人なのです。」うき男はとうとううなだれてしまった。そしてうなだれた目から大粒の涙が落ちた。三人とも泣いていた。

 

プロジェクト発足

 

3人で始まったプロジェクトメンバーにアルバイトで良子も加わることになった。

稲葉の良子との面談のしかたもあい子やうき男と違っていた。理屈で道通りに説明していくのだった。良子もその方が分かりやすいと後で言っていた。稲葉のいう学知が良子に当てはまる。

稲葉は常に現場を回る日中現場を回って夜帰って机で整理し翌日私たちに指示をして現場に行くの繰り返している。仕事は異常に早い。数週間で新しいマニュアルやメニュー、雇用関係の書類、報告書などが出来上がっていった。内容は誰が見てもわかりやすく作られていた。ただし、時折発する稲葉用語は教えてもらう必要があった。大分流比因人とか生知、学知、困知とか。

 

地方の現場についていくと、都市部よりも悲惨であった人々に仕事がなく酒、ギャンブル、風俗が昭和の頃のように増えていた。飲食店内では公然とタバコが吸われドアには禁煙と書いてあるが誰も守らず店員も注意をしなかった。

そんな街の姿を見ながら稲葉は「この町は無定見で無目的な人であふれかえっている。」と言った。稲場の用語説明によると、正しい定まった見方がなく明確な目標もないことを指すようだ。無定見で無目的な人は哀怒喜楽を繰り返す。喜怒哀楽を悪い状態から並べ直している。感情で左右されるので快楽に溺れやすく一旦はまると抜け出すことはできにくい。抜け出せると「平」「進」とステージが上がる。「平」は自己実現できるステージ、「進」は他人への奉仕のステージらしい。稲葉はこれを「心場」と呼んでいる。良子はマズローの段階説に似ているといった。ただ稲葉はマズローの説は下位のステージはその欲求が満たされると自然に上がっていくのではなく飛び石のように自分の意志で思い切って移っていかなければならないという。あい子はうき男の面談のことを思い出した。

 

その地方の現場視察の時に地元の飲食店のマネジャーが挨拶してきた。

そのマネジャーは、「チェーンのある方に先生がこの町に来られるお聞きしまして、挨拶をしたいと思いやってきました。もし、私どもに利益がありそうなら参加させもいただきたいと経営者も思っています。」と言った。

稲葉は「プロジェクトはまだ準備の段階でお話できるような段階ではないのです。」と言った。あい子はおかしいと思った。もう、ほとんどの準備は終え現在はどの地域に出店し、どの経営者に参加してもらうかの段階であった。だからできるだけ多くの希望者にあっておくべきではないかと思うのだが稲葉からはつれない返事に聞こえたのだ。

そのマネジャーはすごすごと引き換えした。あい子がその理由を稲葉に尋ねると、

「利益が出るなら検討してもいいと言い、経営者自らではなくマネジャーに来させている。だから真剣ではないんだ。今、説明しても無駄に終わる。」と答えた。

 

あい子は稲葉が「心場」の飛び石を飛ぶきっかけとして、

・今いる場所でつらい経験をする

・今いる場所に見切りをつける

・次の飛び石に強い欲求を抱く

・メンターに誘われる

あげているが、確かに今のマネージャーはどこにも当てはまった様子ではない。うき男はそれが当てはまった。

 

あい子は自分は目的はあるが定見がないと思っている。稲葉のように確立したものはない。それを稲葉に話すと、稲葉は

「あい子さんは小さなころに両親に教わったことを守っています。みんなで分け合うこと。人をぶたないこと。自分で後片づけすること。ずるをしないこと。食べ過ぎたり買い過ぎたりしないことなどです。難しいことが定見ではなくシンプルなものでいいのです。私はまだ表現力が乏しいので難しく聞こえてしまうのです。」と言った。

 

様々な訪問者

 

ある地方の視察の時にまた別の人が訪ねてきた、どこからか噂を聞き付けたようだった。今度は経営者だったが小さな1店のお店を経営しているとのこと。しかし、フランチャイズに加盟してもらうには資本力がなさそうだとあい子は思った。また以前のようにけんもほろろに断るだろうと思った。しかし、稲葉の様子がおかしい。話をじっくり聞いているのだ。その経営者は太田と名乗ったが経営している店は10年前より客足が減っていること。10年前は住宅街だったが外資系のネット販売の倉庫が進出してきてそれに伴い一般客が減っていること。収入がないので人を雇えないこと。味には自信があるが新規客が来ないので知ってもらえないことなどを写真や帳簿を見せながら説明した。これまでの訪問者と異なり熱意を感じた。

稲葉は、「分かりました。一度お店に訪問させてください。」とだけ伝え太田は返っていった。

後日、稲葉は太田の店に行き、自慢の一品を食べた後に書類と封筒を渡してこう言った。

「先ずは、自慢の一品に磨きをかけてください。そして、一品を活かす外資系企業に対する営業のしかたがこの書類に書いていますのでその通りに活動してみてください。それを始める時に「大分流」で計画を作って月末に「比因人」で振り返りをしてください。それもこの書類に書いてあります。その活動資金にこれをお使いください。」と封筒を渡した。現金が入っていた。

太田が「お金はいりません。自分で用意しますから。」と固辞したが、稲葉は

「自分のお金なら途中で辞められますが、このお金ならあなたは絶対にやり遂げるはずですので、敢えて使ってください。そして、それが成功し新たな顧客が獲得できたなら我々のチェーンが市場性があると特別枠で太田さんを加盟してもらうかもしれません。」太田は稲葉の気持ちと手を両手で強く握りしめた。

 

あい子は太田になぜお金を出したのかを尋ねた。稲葉は太田は今のままでは資金面や固定客がいないのでチェーンに加盟できない。そこで「理解が優先の原則」で太田のお店を調べてみた。もし、太田のようなやる気が高いか加盟店が増えれば「相乗効果の原則」が働き他の加盟店に良い影響を与える。だだし、おそれでも太田にはまだ加盟店になるにはハードルが高い。太田にとっては大変だが「なべ底の原則」で厳しい問題を解決してもらう。資金を出したのは「GIVEが優先の原則」で本気になってもらいたいからだと説明した。

 

加盟店への対応

 

少しづつだが加盟店は増えていった。チェーン経営者や稲葉の考え方に賛同している加盟店希望者は多いのだが稲葉は急ぐことを良しとしなかった。

既に店を始めた加盟店もすべてが必ずしも順調ではなかった。

山口のケースは特に困難だった。元々は山口は既にラッショナルのチェーン加盟店であり複数の店舗経営者だった。しかし、店舗を破壊したお客に裁判を起こしたものの動画の証拠が不十分ということで相手は不起訴となり、それに腹を立てた山口が動画サイトに問題動画をアップして個人が特定できるような情報を付け加えた。それを知ったラッショナルのチェーンは山口を契約違反で契約解除したのだった。加盟店に山口と親しい経営者がいてとりなしたが再契約にはなならなかった。山口も自分の行為を反省していた。ただし、今回のハーテリーチェーンに参加するのなら契約できるようになった。

山口はチェーンのオペレーションの理解は高くすぐに業績を上げていった。順調であった時に山口の店で破壊行為が起きた。従業員が顔を隠していたが背格好や声から個人を特定できた.

しかし、今回も証拠不十分で起訴できなかった。そして、山口は同じように動画をアップして再度契約解除された。

 

稲葉はこう説明した。

「山口さんの「心場」は哀怒喜楽の「怒」にあります。順調にいって「楽」にあっても何かのきっかけで「怒」に戻るのです。心場は入れ子状態になっており、たとえ「進」の中にも「怒」はあるのです。「怒」は破壊の性格を帯びています。壊されたのは店ですが、契約を壊したのは山口さんの「怒」だったのです。」

 

もう一つの板井のケースは、スタッフのトラブルだった。ハーテリーは人がサービスの品質を左右する。スタッフは長い間、様々なブラック企業で働いてきたので経営者を信用しない。指示に従うように見せかけてサボる、ミスが多い、マニュアル通りにやらないが横行していた。

そこで、稲葉はその店に訪問し、しばらく観察した後に従業員たちに次のような提案をした。従業員に店に対するクレームをアンケートを入れた箱に個人が特定されないように無記名で書かせて、書いた人には稲葉が箱に報酬を支払うというものだった。多くのクレームが集まり中にはお金目当てで少しずつ書き分けるものもいたが、すべて報酬を支払った。そして、稲葉がを入れた箱にクレーム対応報告書を入れた。すべては対応できなかったものの多くは改善された。改善されなかったものは理由を書き継続して対応することが書かれており、後で言葉通りに追加の報告書で改善されたことが書かれていた。

次に、クレームの他に提案をしてほしいと伝えた。クレームより少し高い報酬を支払った。それに対して稲葉は提案対応報告書を箱に入れた。クレームと同じように提案が通ったものとそうでないものに分けられ、あい子用語の説明が付けられていた。稲葉はスタッフが分かりやすいようにあい子の定見を使って説明したのだ。そしてこの店の従業員が定見と目的をもっただった。それからは業績は上がり始めた。

それを聞いたあい子は少しうれしかった。

 

稲葉は、この件は次のように説明した。

「スタッフを無定見無目的な状態から変えるには最初は利益で誘引します。前にも話したように哀怒喜楽は我欲だすからそこから始めます。クレームは不快なものだからそれが快に変わると気持ちに変化が現れます。気持ちの変化は行動に結びつくので「散消の法則」に飲み込まれる前に次の行動に移し「繰り返しの法則」で良いリズムを作っていきます。しかし、すべては希望通りににならないので「定見」で理由をきちんと説明します。それがないと「復元の法則」で元通りに戻ってしまうのです。クレームから提案にテーマを変えたのは「らせんの法則」で進歩させたのです。そして、あーだのこーだの言っても何も変わらない「行動変化の法則」で行動だけが唯一自分を変えていくのだということを分かってもらいたかったのです。」

 

冴苗のケースは稲葉のやり方に対する消極的な反発だった。

稲葉の接客方法は一律ではなく顧客ごとに接客の仕方を変えた。そのため、顧客のタイプを見極める必要があった。稲葉は独自に「四態」という方法で顧客をタイプ分けし対応を分けていくというやり方を接客方法に取り入れたが、一律な接客のしかたになれている経営者には本音では抵抗があった。

冴苗は心の中で「心理学者や一流のセールスマンでなく、ろくに学校も出てないバイトの子には無理だね。」とつぶやいた。

 

良子は稲葉に「飲食店では顧客に接する時間が短く4つのタイプに分ける対応はスタッフの負担が大きくなるのではないですか?」

稲葉は「一律の対応でよいお客様はハーテリーには足を運ばない。普通のバイトの子が自分を分かってくれた対応をしてもらったらうれしいと思わないかい?」と言った。

 

銀行から来た男

 

ラッショナルの資金繰りは初期投資の時に多額の資金を必要とする。そのために、加盟店も直営店も多くの場合に銀行からの融資を受けるようになる。ラッショナルのチェーン展開が始まった時には銀行やロボットメーカーからの信用力が低かったのでなかなか店舗数を増やすことができなかった。しかし、疫病のパンデミックや労働者の確保などの問題からラッショナルは追い風に乗り信用力は高まり資金確保はしやすくなった。

ただし、銀行はリスク管理と情報収集のために株主となり役員を送り込み経営に影響を与えるようになった。社長の発案によりハーテリーのチェーンの展開に対し銀行の取締役は反対した。なぜなら、ラッショナルは当初より効率化し収益が上がり、その結果銀行のリスクは下がって高い配当まで得るようになってきた。そこに、ハーテリーを始める頃により収益率が下がりリスクが高まるのは明白だ。

しかし、ラッショナルの成長性が鈍化してきたこと、政府が若者の就職率を向上させるために人に対する投資を増やす企業に銀行は融資を増やせと要請してきたこと、現在、新興市場に登録しているが成長性などを高めることで1部上場に株式公開ができ株主でもある銀行のメリットは大きい。

そこで、銀行はハーテリーにある男を送り込んできたのだった。

 

その男は佐賀と言った。MBA卒の銀行の本部審査部のエリートであるが、ある案件が不良化し責任を取らされる格好で融資先に出向となった。佐賀はその処罰に不服であったものの銀行というシステムを知り尽くしているので素直に従った。その代わりに出向先で大きな成果を出せばいいのである。

銀行の意向はハーテリーの内容を情報収集し是々非々で対応を考えるといったものだが、早期の成果を図る佐賀にとっては速くハーテリーを撤退させることでラッショナルや銀行のリスクを下げたと報告したいのが腹積もりであった。佐賀はハーテリーを外部の経営コンサルタントに任せているのが気に食わなかった。佐賀も経営コンサルタントは胡散臭いと古い考えの持ち主だった。

 

うき男はオフィスで佐賀の到着を待っていた。佐賀のことはよく知らないが、着くなり仕事を行うというのだ。責任者の稲葉と打ち合わせし行動をすり合わせたほうが良いと思うのだがそれは後で行うとのことだった。

佐賀は時間通りにやってきた。

うき男は「おはようございます。佐賀さんですか?」と姿勢を正してあいさつした。

佐賀は「そうです。時間がもったいないので、これまでの活動内容が分かる帳票類を見せてください。」と言ってうき男をせかせた。

「それは稲葉さんに確認を取りますから待っていただけますか?」と慌てていうと。

「うき男さんは、外部の業務委託の方でしたよね?社員である私が権限内にある自分の会社の帳票を見るのに問題はありますか?もし確認が必要なら取締役に確認しますか?」と矢継ぎ早にいわれた。

うき男は何も返すことができなかった。データーベース内の各ファイルの案内図とパスワードを佐賀に教えた。佐賀は黙って受け取り自分のPCで侵入した。

 

翌日、佐賀は稲葉と打ち合わせした。打ち合わせと言うより緊張感が高く対決という雰囲気だった。

佐賀は名刺をテーブル置きいきなりこう言い始めた。「稲葉さん、昨日データを見させていただきました。お聞きしたいことがありますので答えてください。第1にあなたは個人のお金を店舗の従業員や加盟店候補者に使っていますが、あなた自身の利益のための買収行為ではありませんか?第2に会社の出店計画より出店スピードが遅いのですがこれも自身の利益のためで会社に損害を与えていると思いませんか?第3にあなたを含めて主たるスタッフが外部の方でこれも利益を社外に流出させ会社に損害を与えていると思いませんか?」

佐賀のいきなりの質問はすべてイエスかノーで答える質問だった。

稲葉は「すべて、ノーです!」ときっぱりと言った。

佐賀は「では第1の質問のあなたは個人のお金を店舗の従業員や加盟店候補者に使うことによって相手はあなたの要求を断れなくなることを考慮しましたか?」またイエスかノーかだ。

稲葉が説明をしだすと遮って「はいかいいえで答えてください。説明は必要ありません。」

まるで検事の尋問だった。こんなやり取りが1時間ほど続き佐賀は出ていった。

さすがの稲葉も疲れ切った様子だった。

 

ミスターAIロボット

 

会社名はRA。その会社の建物は真新しいビルだった。しかし、外観は普通のビルなのだが中は相当変わっていた。

いるべきところに人が見えない。カメラは見えないのだが見られているような気がする。普通にオフィスビルにある受付や応接セット、トイレというものが見当たらない。ビルの割にはエレベータが1階には1機しかない。ただあるのは真っ白なドレスを着たように見える女性型のロボットだった。内装も真っ白な強化ガラスで作られているので、まるでアナと雪の女王の氷のお城のようだ。

ここはストアーアートメーションのトップメーカーのオフィスビルだった。会社は回転ずしのSAから始めて疫病パンデミックを機にロボットメーカーを買収しより自動化を進めていった。

ラッショナルの最大の購入相手であるが、以前は単に店内にロボットを置くだけの店があったがRAはまるでコンビニように店舗を標準化しロボットを使いAIで判断させ小売店、飲食店などに機材を提案型で提供していた。それほどのノウハウがありながら自身では新規参入しなかった。その理由は、現在ロボットは高額で初期投資かかるということはメーカーはそれだけの収益が見込めた。他の産業用ロボットメーカーはあるが製造業が主な顧客なので同じ市場で競争は少なかった。現在は小売業、飲食業が中心だが今後更なる水平展開が見込めた。

しかし、ロボット化、AI化が進むと市民から批判が出てきた。労働力が足りない部分を補うのが労働者から労働を奪っているというものだ。街中でラッショナルへの破壊行為が多いのはロボット化、AI化に反対する行為のように見える。しかし、日本人は諸外国に比べてデモや政治参加が少ない。その代わりに窃盗、人のいない時に破壊、SNSでの誹謗中傷が多い。ただし、ロボット兵器によるミサイル攻撃を受ける前の先制攻撃や有事の際に徴兵を減らすための自衛隊のロボット化に対しては国民の支持は高かった。

そこで、RAのCEOの窓井は、ロボットやAIに対しての税を特定財源としベーシックインカムの導入を提言した。数年前にロボット・AI税は導入されていた。現在は一般財源だが特定財源することで労働者の労働を奪うことへの批判をかわすことが狙いだ。つまり、ロボットやAIが労働し市民に奉仕しますよということだ。

賛否両論があるが課税を強化するより提言に沿った対応をすることで場を治めようする意見が大きくなりつつある。また、この分野では日本のメーカーの国際競争力の支援にもなるのだ。

 

試行

 

佐賀との打ち合わせは稲葉の説明にとりあえず納得したようだが、また追求してくる可能性はあった。

稲葉は相変わらずに現場巡りをしていた。加盟店募集者の基本的説明や研修などはあい子らに任せるが加盟募集者の面談や時には店舗スタッフの面談は直接に行った。現場巡りをしながら次々と改善していくのである。マニュアルは既に10回ほど改正されている。

稲葉は最初から完全を目指さない。7割ほど準備したらすぐさま実行に移し改善していく。稲葉は改善と呼ばずに「試行」といった。

振り返れば稲葉のこれまでの人生が試行の連続であった。本を買うための中古本の売り買いは、業務用洗剤のセールスの試行となり、業務用で法人営業を経験したことが、CDショップでの法人への提案営業の試行となっていった、試行を繰り返すことで前よりも正しく早く安く多く大きくできるようになる。稲葉はなるべく同じやり方を好んだ。どうしてもそのやり方ではできないと分かるまで試行を繰り返した。多くの人は新しいやり方を好む、佐賀はMBA出身なので欧米の手法を好んでおり、稲葉になぜ手法を活用しないのかを尋ねた。稲葉は知らないのではない。知らないどころか、仕事に役立ちそうな情報を得たらこれまでの試行に少しだけ取り入れた。多くを取り入れないのは「繰り返しの法則」のリズムを崩さずに「らせんの法則」で成長軌道に乗せるために必要なことに厳選しているからだ。稲葉ほど経営を学んだものは少ないかもしれない。ただし、学校で学ぶのではなく現場で実践して確かめていく実学なのだ。

 

佐賀はハーテリーの問題探しに決め手がまだ見つからなかった。最初は、稲葉の不正を疑ったが経営陣には不正ではなく善意であり、やり方には問題はあるものの契約解除には及ばないとされた。

稲葉の仕事ぶりに落ち度はなく加盟店の経営者やスタッフからの満足度は高かった。

そんな時に、ラッショナルの調達先のRAの展示会に行きCEOの窓井と会った。ハーテリーの監査をしていると伝えると興味を持ち面談の機会をもらった。窓井はラッショナルの調達先であり、ハーテリーへは一部しか納入できない。そこで現在どのような状況なのかを知りたがっているようだった。RAは調達先と言えどチェーンより大きな企業であり、政府へ提言をするほど注目されている企業である。佐賀はハーテリーの動向を匂わせれば必ず対応をしてくるに違いない。出向元の銀行はRAと取引もしている。佐賀は窓井と手を組めば自分の目標達成は遠くないと確信した。

これは稲葉の知らない「試行」であった。

 

対決のはじまり

 

銀行から出向された取締役らは経営陣に役員会の招集を要求した。

議題は、ハーテリーの今後のことについてである。提案の内容は、出店計画を大幅に下回っており改善が期待できないこと。ラッショナルは一時伸びが鈍化していたが調達先のRAの技術革新が進み今後さらなる成長が期待できること。融資する銀行としてもラッショナルへ重点投資をするべきであるというものだった。銀行は是々非々の対応から変わった。佐賀からの報告に加え窓井からの要求があったに違いない。

しかし、銀行以外の他の株主へは昨年の株主総会で承認を受けている。借入先の銀行の意向だからと言って、撤退すればこれまでの投資が回収できず経営者が責任をとることになる。

CEOの恩田は代案を提示した。

「最終的には株主総会での議案事項となるべきでしょう。そのためには、ハーテリーの評価をするための材料が必要です。出店計画に遅れが生じているだけで撤退するのでは他の株主の納得が得られないでしょう。そこで、技術革新を取り入れたラッショナルとハーテリーを競わせて、その収益性などを比較して次の株主総会で議案として提出し株主に決めてもらうのではどうでしょうか?」

銀行から出向された役員たちはその旨を銀行に問い合わせ了承された。

 

そのことは稲葉に伝えられた。後日、この対決に近いルールが知らされた。しかしそれは稲葉たちにとって圧倒的に不利な内容だった。

ルールは、次の通りに通達された。

  • 技術革新を取り入れたラッショナルは冷凍技術やAI販促を導入した実験店舗である
  • ただしAI販促の実験段階であるので減価償却費は除外する。他の投資は期間分を減価償却及び除却する。
  • ハーテリーは対象店を公開すると支援などの影響が出て正確な比較にならないので公開しない
  • 期間は1ケ月。開始日は追って伝える

 

つまり、ラッショナルは最新技術を導入しても費用から除外でき、ハーテリーはどの店が対象かを教えないと言うのだ。

あい子は「不公平です。こんなルールなんてひどいです。」

うき男は「こんなの勝てっこないやるまえからまけたもどうぜんだ。」と口々に叫んだ。

稲葉は一瞬怒気を含んだ目をしたが一度目をつぶりゆっくり開けてこう言った。

「やるしかない。これは逆境だがその先に成功があるんだ。」

 

RAの最新技術は革新的だった。先ずは、AIを活用した解凍技術は進んだ日本の冷凍技術を利用したものであるが、いくら進んだ冷凍食を解凍する際に上手く解凍させないと冷凍食の味を引き出すことはできない。電子レンジの最適な出力と時間を設定すると同一の食材には上手く設定することができるが、違う食材を電子レンジで解凍する場合に一方は最適な解凍ができても一方は解凍しすぎという現象を起こすのだ。冷蔵食の過熱と異なり冷凍食の解凍・過熱は難しい。ましてやセントラルキッチンで作って盛りつけまで行ったものを急速冷凍し現地で解凍・加熱すれば様々な調理ロボットを店舗に設置するよりコストが下がり導入するチェーンの負担が減るのだ。その高機能な電子レンジをRAはAIを搭載した。

また、会員アプリに来店した客の好みが記憶され「いつもの」ボタンを押すといつもの料理が出てくる。野菜が嫌いならたんぱく質に変え、ごはんやパンの多少も記憶しているので食べ残しは限りなく少なく済む。

来客の傾向や気温や湿度などの環境に合わせて外看板、メニューの位置が変わる。よく気温30度を超えるとアイスクリームからかき氷が売れると聞いたことがあるだろう。それが外看板やメニューに自動的に連動し顧客に勧めてくるのだ。壁の大部分がディスプレイになっている。店外の監視カメラと連動し人が通った時だけスポット広告を映し出す。

自動運転された配送車が店舗に冷凍食を納品し店舗の廃棄物を回収する。廃棄物は完全密封、圧縮されているので衛生的にも問題はない。

RAの主たるターゲット市場の小売業と飲食業をロボット・AI技術を結集したものだった。その最初の実験店舗をラッショナルにしたのだった。しかも、「対決」の情報はマスコミなどにリークされた。たぶん、RAの関係者によるものだろう。

 

一寸先の光

 

とうとうその日はやってきたラッショナルとハーテリーの対決が始まる日である。

14店あるハーテリーは、各店舗緊張状態にあった。稲葉からの指示で各店舗の清掃、接客、食材の調達、スタッフのシフト、イレギュラー時の対応などは再点検し準備は万端だった。

少し都心の店舗の前に報道するマスコミは来たが地方の店舗は静かな開店だった。一方、ラッショナルの周りには多くの報道陣、チェーンのCEO、RAのCEOまで来ていた。RAのCEOは新技術の飲食店ストアオートメーションの可能性を力説し、それを報道したマスコミは自動運転との融合により新技術は海外に輸出されジャパン・アズ・ナンバーワンの復活になるだろうとコメントしていた。さらに、今回の異なる業態の対決は既に結果は明白であくまでも新技術のラッショナルのお披露目にまんまと乗せられたと邪推しているコメンテーターもいた。

新技術のラッショナルに入ったあるレポーターはロボット食事を注文し、出てきた食事に芸人のようなリアクションで解凍技術の凄さを報道した。別のレポーターは自動運転車が配送し無人で食材を納品している動きを図解入りで説明していた。また別のレポーターはアプリを使って会員登録をし食事をし、再度店の前へ通りかかる外看板の変化に注目し報道した。

レポーターの間を多くの来店客の行列が並んだ。チェーン始まって以来の行列だった。

 

あい子は地方の店舗に行っていた。対決が始まる前と同じいつもの行動だった。現場主義の稲葉に教わったリズムである。対決になってリズムを崩してはいけないと稲葉から念押しされた。稲葉の言う「繰り返しの法則」の実践である。それでもあい子は心配であった。出張先のホテルを出る時にテレビのモーニングショーで新技術のラッショナルの報道を見ていかにこの対決が世間で注目されて、いかに相手の店舗が凄いのかを観て不安が募った。しかし、自分が不安では店舗の経営者やスタッフが動揺してしまうので気合を入れてホテルを出た。

店舗の前で深呼吸し満面に笑顔を作って店の裏口から入った。

「おはようございます。本部から来ましたあい子です。」と大きな声であいさつした。名前を言わなくてもみんなあい子のことを知っていた。

経営者がすぐに近づいてきてこう言った。

「あい子さん、おはよう。ねえ、対象店の情報入っているんでしょう?うちなの?嫌だなあ、なんかウチ悪いことしたのかな?」と嘆きながら言った。

あい子は「いいえ。まだ対象店は分かっていません。私が来たのはいつものモニタリングです。」

経営者は「テレビ見たよ。都内のラッショナルは凄いなあ。負けたら撤退するんでしょ?どうすんの我々は?そちらから契約解除するんだから違約金払ってよ。」ともう負けた話をしている。

「今日がスタートの日です。加盟店の経営者は例えれば主君です。戦う時に主君が弱気なら兵は総崩れします。今一度お考え直しを!」あい子は歴女で武士のような言葉がつい出てしまった。

「そ、そうだね。今日がスタートだね。敵は本能寺にあり!」

 

稲葉は初日の夜にある地方のホテルでパソコンを開き各店舗のレポートを見た。どの店舗も売上は高く、これまでの最高を出している店もあった。稲葉は嬉しかった。各店が必死で営業している。どの店舗も問題を起こしていない。完璧と言っていいほどのオペレーションである。これを1ケ月、いやずっと続ければいいのだと思った。新技術のラッショナルの売上は見なかった。相手を意識する必要はない自分たちができることを意識すればいいのだと思っていた。

しかし、うき男からメールが1通届いていた。相手の店の売上が報告されていた。こちらの最高の店舗の2倍だった。

 

対決は2週間ほど経過していた。ハーテリーの各店はそれぞれ過去最高のペースを維持していた。各店のスタッフは最高のサービスを提供していた。各店舗から報告されるお客様アンケートの内容は心からスタッフや料理に感激したことが書かれていた。スタッフからのレポートは提案する内容のものがあった。効率と顧客満足の両方を向上させるための小さな工夫が書かれていた。稲葉は感激した。こんなに忙しい中、クレームどころか提案が送られてくる。対決だからといってスタッフに特別に報酬アップをしていない。特別なことをすればバランスを崩し「復元の法則」によって元に戻される。だから、少しだけ「試行」し「らせんの法則」に乗ることを意識すればいいのだ。それを実践してくれるスタッフが頼もしくうれしかった。

しかし、悪い報告が伝えられた。チェーンのCEOへハーテリーの経営者たちが面会しに行ったというものであった。面会の内容は、もし今回の対決でハーテリー側が負けた場合にラッショナルへ契約変更することの要求である。その要望書にはこちら側の半数以上の経営者の名前が連なっていた。

その名前の中には特別枠で加盟していた太田の名前があった。

 

対決の最中、稲葉は脳溢血で倒れた。遺伝であった。父は稲葉の歳の頃に手術し一命をとりとめたが、兄は亡くなっていた。最近頭痛が続いていたので稲葉は覚悟していたが現場から離れることができなかったので病院へ行かなかった。運よく稲葉は命を落とさずに済みそうだったが、これで対決の指揮を執ることができなくなった。手術が済み少しづつ意識が戻りながら頭の中でつぶやいた。

「この逆境は何を私に伝えようとしているのだろうか?」

 

対決の流れは決まった。締め日を1週間残していたが一方の主君は倒れ兵は雪崩をうって相手側に寝返っている。

しかし、残っている店舗はまだ諦めていない。可笑しなことに寝返った店舗も努力している。ただし、この努力は今後のアピールのためと寝返ったことをスタッフに話していないからだ。

そんな時に事件は起きた。新技術のラッショナルが破壊された。モーニングショーで各局が一斉に報道している。ロボット・AIから労働を守ることを主張している過激なグループによる犯行との見方が出ている。監視カメラからの映像で単独犯ではなかった。店内外の大半が破壊されていた。短時間による犯行だったが大人数ではないと警察が来る前にここまでは破壊できないと思われる。特にひどかったのは外部のディスプレイだ。上の方はかろうじて映像を流しているが破壊されたところとのコントラストがハッキリした。

事故ではあったが、対決の1ケ月の減価償却は収益に計算される。破壊された固定資産は除却され算入されるので売上で相手に上回っても最終損益でハーテリーの勝利であった。

ハーテリーの対象店は板井の店舗だった。各店舗で最高額をたたき出した店舗だった。

 

なべ底の底

 

対決の結果は株主総会に報告され改めてハーテリーの継続が承認された。佐賀は対決に敗れ銀行へ帰っていったが地方支店へ左遷された。RAは外看板は破壊リスクはあるものの、解凍技術はラッショナルの収益向上に利することから今後も調達先になった。稲葉は脳溢血の後遺症は少ないものの後の運営をあい子らに任せて、経営コンサルタントとして以前に戻った。戻る前に、寝返った加盟店の処遇を任されたが何も処罰的なことは行わなかった。寝返った経営者は稲葉に面会し、謝罪し今後もハーテリーの加盟を続けさせてもらうことを懇願した。太田は一人だけ土下座していた。

あい子らに稲葉は言った。

「ほとんどの人は流される人だ。利を求めて哀怒喜楽を繰り返す人なんだ。ただし、彼らは「心場」の飛び石を今回飛んだんだ。チェーンの中核を担ってくれる加盟店経営者になるよ。」と太鼓判を押した。

良子は稲葉に質問した。

「稲葉さんは以前、なべ底の原則といって問題解決は関わった状況や人が深くなればなるほど真の問題解決に近づくと言ってましたが、今回もそ最初からそう思われましたか?」

「いや、そうは思っていなかったが偶然の事件で今回はたまたまこういう結果になっただけかもしれない。しかし、運と奇跡は双子のようなものだと思う。我々が人を信じている信念が偶然にメディアを通じて対決が世に知れ渡った。そして、同じ意志が引き寄せられたのかもしれない。事件を起こしたグループを擁護するつもりはない。暴力は憎むべきものだ。自然のことわりが少しだけ元に戻したんだと思う。」と稲葉は説明した。

説明を聞いた良子は思った。これまでは問題があったら問題の裏返しの解決の知識で対応していた。例えば、在庫がないと在庫を注文するというような具合に知識があれば解決策になった。しかし、今回のように知識では解決できない人の心のつながりが必要だった。しかも、心のつながりが行動という意志につながることで問題が解決される。

多くのの問題はなべ底は深くはないように見える。だから、安易に問題の裏返しで解決しようとするし、一見解決されたように見える。ところが問題の根は複雑で抜本的に解決していない。ウィルスのように体が弱ってきている時だけ表面化してくる。

鍋の底を深く探ろうとするのは問題解決者の知識と経験と信念だ。特に信念は重要だが多くの人はこの信念を精神論のように誤解している人が多い。信念は心のつぶやきによって作られる。人は行動の前に思考や心が働き行動を制限する。ハーテリーの加盟店の経営者が寝返ったのはこの思考や感情に行動が刺激された。特に恐怖の感情が人の行動に多くの刺激を与える。対決でこのままだと負ける。負けたら撤退を余儀なくされ資金を失うもしくは安定を失う。その恐怖から逃れるために太田のように恩義に感じている稲葉を裏切るのだ。そこに信念はなかった。稲葉の信念に刺激されただけだった。

 

稲葉は考えた。稲葉は皆に信念が持てるように育てている考えていたが、それは稲葉の「小さな正義」だった。太田のように稲葉の恩義に感激し気づきながらも、「復元の法則」で我欲に戻されてしまう。したがって、稲葉は「やれない自分や相手に気づく」ことが必要だった。

 

次なる出発

 

稲葉は朝早く机の後片づけをしていた。まだリハビリ必要な左腕の動きがぎこちなかった。片づけをしながらこれまでのここでの仕事を思い出していた。これまで一人の経営コンサルタントがチームで仕事をしたこと。個別コンサルティングでは味わえない様々な人との関わり合いがあったこと。ラッショナルとの対決。特にあい子と良子とうき男の存在は稲葉の考えに変化をもたらしていた。

これがメンターチームと言える存在なのかもしれない。稲葉の考えるメンターチームとはともに目的を一つにし相互協力的に問題解決を図るなチームである。稲葉はこれまで一人で大海を渡る小舟だった。複数で舟を漕いだことがない。でも今回の経験で稲葉の考えを理解してもらい、稲葉もそれぞれの考えを理解した。ここに安住したかったが、稲葉にはより複雑な問題が別なところにあるような気がした。その問題を解決するためには多くの時間をここで過ごすことはいたたまれなかった。でも、稲葉にはメンターチームができた。遠くなはれても必要ならば必ず彼らのもとへ駆けつけよう。さよならだけが人生と思っていた稲葉の考えが大きく変わったひとつだった。

 

そこへあい子たちが出勤してきた。

「稲葉さん、もう片づけちゃったんですか?手伝いますって言ったのに。」

「君たちが手伝うと後で探すのが大変だからな。」と稲葉は言い訳した。

うき男は新しい加盟店応募者が来てますと稲葉に伝えた。

後を見るとそれは見覚えがある顔だった。それは佐賀だった。

「お久しぶりです。今日が最後の出勤とお聞きし面接をお願いしようとやってきました。」佐賀の顔は銀行員の顔ではなかった。柔和で謙虚で素直な顔だった。他の3人はサプライズを仕掛けた人のように稲葉のの反応を楽しんでいた。

佐賀は銀行へ戻った後、左遷された地方支店で働きながら悶々と過ごしていた。敗北は事故であり自分たちは完全な勝利だと思いながら時を過ごした。しかし、深く考えるにつれ自分の誤りに気づいた。でも認めたくなかった。苦しくって苦しくって最後に出した答えは「飛び石を飛ぶ」ことだった。

そして、佐賀は一番新しい稲葉のメンターメンバーになった。