因果心事による集団的問題解決過程編

はじめに

 

因果心事による集団的問題解決は、これまで因果心事や比因人常為兵による原因分析によって、問題解決のATOOSの考え方だと説明してきました。

ただし、組織や集団全体にかかわる複雑な問題が起きた場合は、これまで紹介してきた方法の単独実施では解決できない場合があります。

その場合には今回ご紹介する集団的問題解決の方法により対処することをお勧めいたします。

なぜなら組織における問題は組織ゆえに複雑性が増すからです。

 

複雑性の種類

 

なぜ社会や組織の問題が複雑になるかというと次のような問題があるからです。

 

社会性の問題

 

社会性の問題とは、参加者のおかれている立場や役割や影響される利益が異なるが故の問題です。

例えば税金の使い道で若い家族は子供に対する教育や子育ての支援に税金を活用することを望みますが、高齢者は高齢者の利用する施設の充実や医療に対する支援に税金を投入することを望みます。

 

主体性の問題

 

問題に対し主体性がないと問題提起ばかりが中心になり解決策の提示がおろそかになります。

SNSなどでの意見は正に主体性のない意見多い。

 

熱量の問題

 

関心が薄く主体性も持たないと無関心や問題を軽視しがちです。

一方、熱量が高く感情的になって相手に対し解決急がせるような問題です。

 

 

問題解決力の問題

 

問題の解決案を示すものの安易で単純な解決策を示す問題です。

「それなら止めればいい」「取り締まればいい」「法律を変えればいい」などですが、問題が複雑になると相互の関係が出てくるので、単純な対策だと別の問題が起こってしまう問題です。

 

思考だけでは問題の解決には至らない

 

問題が起きた時に冷静に思考を働かせてそのけん引を探り対策を検討を行うのは基本です。

しかし、問題には思考だけでは解決できない問題があります。

理由としては、

 

・いきなり問題が出て感情が先に反応してしまう

・少しづつ積み上がった感情の崩壊

・ストレス

・思考で隠された自身の内部の感情に触れた時

・過去の苦しい経験、嬉しい経験

・共感で出てくる感情

・子供、ペットに対する愛情

・異性に対する性的な感情

・攻撃を受けた時の一瞬の感情

・隠していることに触れられた時の恐れ

・憎しみ、嫉妬、恐怖

 

などが問題や原因に絡みついていると思考だけでの対策が効果的に打つことができません。

例えば、組織の中での人間関係の対立の問題があり、コミュニケーションをとることで問題は解決されると対策を討とうとしても、感情にしこりがある、面従腹背で効果が上がらない、絶対に関係をもちたくないと息巻いているという状況であれば問題は解決されないでしょう。

 

そもそも感情の発露は悪なのでしょうか?

 

問題解決において感情を出すことは悪いのでしょうか?

確かに、冷静になることで問題を分析しやすくなる思考の利点はあります。しかし感情に利益もあるのです。

 

感情の利益

 

・エネルギーが思考よりも大きい

 

思考は積み上げて大きくなりますが、感情は一度に爆発することができ一度に大きなエネルギーを生み出します。

 

・反応が早い

 

感情はい旬で反応できますので思考よりも早く出現します。

 

・強く長く影響してくる

 

憎しみ、嫉妬、恐怖などはその感情が生じると長く強くその人に影響を与えます。

 

・脳にダイレクトに伝わってくる

 

脳内物質の働きでダイレクトに刺激を与えます。

 

・共感は強く感情を揺さぶってくる

 

共感を感じるとそれまで感じていた認識が大きく変わり自分のこととしてとらえ感情を大きく揺さぶってきます。

そのことが問題を解決することに向かわせます。

 

・抱えていた感情からの解放

 

抑圧されていた感情が何かの刺激によって解放されるとそのストレスから解放され定期ます。

 

・直観発信の気持ちよさ

 

パッと閃いてパッと発信する気持ちよさはだれしも体験したことがあるかと思います。

 

・想像力と結びついている

 

ひらめき、アイデア、発想、想像、創造は無意識に関係し、そのきっかけに感情が結びついていることが多くあります。

 

このように、感情は多くの利益を問題解決にもたらします。

上手く感情をコントロールすれば複雑に絡み合った問題を解決させるエネルギーになり、思考だけでは考えられなかったアイデアを生み出し、共感の力で足し算ではなくかけ算の効果を発揮させるのです。

集団的問題解決のプロセス

 

複雑で集団的な問題を解決するためには段階を経て問題を可決する必要があります。単純な問題は良い解決策をすぐに当てはめることができます。しかし、先に述べたように複雑な問題はその問題を構成する状況や考え方、利益などが絡み合いある当事者に対して良い解決策だからといって別の当事者の良い解決策だとみなされない場合があります。そのために、段階を経て合意に達することが必要なのです。

集団的問題解決のプロセスは、「衆愚・我欲」「内観」「内発」「発進」「臨界・着火」「発動」「実動」の7つのプロセスです。

そしてこの集団的問題解決の対処には、これまで紹介してきたATOOSの提供技術や応用方法を複数活用して問題解決を図っていきます。

今回は因果心事による集団的問題解決の過程編を説明し、原則・法則編、事例編と続けていきます。

 

衆愚・我欲 

 

                                        

流される自分

 

流される自分は、「やり続ける力」の「流される人」が自分に当てはまっている状態です。

流されると自分では判断できなくなったり過去の経験に縛られて単純なことしか考えられなくなっていきます。

一見考えているようですけどその深さがないので対策の効果は少ない。

その経験があるので、あきらめも早く、「またあの問題か」「どうせ今回もダメだろう」と怠惰な気持ちが沸き起こり、本質的な解決を考えずに問題の解決を先送りをはかります。そしてそれを繰り返していきます。

 

集団で流されているのが衆愚

 

なぜ衆愚は起きるのか

 

流されている自分が集団で発生すると「衆愚」が発生します。

問題は誰でも関心があれば認識することができます。しかし、その原因を探り対策を打つことは思考力、思いの強さなどのエネルギーが必要になるのでそこに至らないので衆愚が発生します。

常に衆愚は「新たな関心」を追い求めます。しかし、長続きしないので高まった関心は急速に冷めていきます。マスコミは、常に関心を作り出そうとしますから、「衆愚」を生み出す装置になります。

また、SNSなど自分の意見が否定されないように周りに意見を合わせるのも衆愚の原因です。最初は違う意見なのに合わせていくうちに自分の意見となり衆愚が生まれます。

人の意見に合わせていくうちに定まった見方ができないので、発言のつじつまが合わなくなってきます。

 

無定見と無目的

 

一本筋の通った考えを基本に様々な事象に対しての意見をもたないと無定見に陥ります。無定見になると他に批判をしますが自分の意見を持たないので言い放しになります。定まった背骨がないので言い放った意見が自己矛盾します。

問題解決には様々な定見がありますが、定見を持つとその定見に沿って問題解決を図るようになります。定見がないと問題への対策が「問題の裏返し」になります。「問題の裏返し」とは、人手不足→人の採用という単純に問題を裏返しただけの単純構造になります。

明確な目標を持たないと人は無目的になります。無目的だとその場その場の利益に流されます。その場その場の利益に流されると信用はされません。目的は自身の言動の座標軸です。裏返すとしっかりとした人は目的が明確な人です。

 

哀怒喜楽の悪循環

 

ATOOSの「心場展開論」の哀怒喜楽は循環していきます。問題に対し悲しみの感情が起こり、単純な対策を考えを喜び。対策を批判されると怒り、支持されると楽しみ。違う問題に今度は怒り。また単純な対策を思い付き悦に入り。支持されないと悲しみ。それを繰り返していきます。主体性がないので反省はなく、同じことを繰り返します。人によっては、この感情の起伏が人生の喜びであり生きている実感だというようなことを発言したりします。しかし、定見がないと感情の脳内物質の反応によってより繰り返しそれを求めてしまう依存症の様な状態ということに気づいていません。

 

哀怒喜楽の情報収集

 

哀怒喜楽の状態にいる人の情報収集のしかたは自分の欲求充足のために情報収集します。自分の好きな意見や情報ばかりを集めていきます。逆に自分の嫌いな情報に対しては、拒絶、あるいは攻撃の態度で行動します。

 

歪んだ認知と拡散

 

このような歪んだ情報収集の態度は哀怒喜楽の歪んだ認知から起きます。そして、共感する人を捜し求めていきます。これが、衆愚をさらに拡散・拡大させていきます。

 

自信教と他信教

 

自信教とは、根拠なく、あるいは薄い根拠に基づいて自信をもった言動の人々のことです。ATOOSの造語です。必要以上に自信を持ち、自分が正しいと信じ、周りの人を見下げたりします。一方、他信教は、人の意見に感化されそれを妄信し信者になっていく人々です。

 

自信教の歪んだ正義

 

自信教の人たちの一部は攻撃的です。自分の意志や意見が通らないと感情的な態度で攻撃してきます。「怒」の態度です。自身の根拠は、自分の狭い知識の中の自信によるものです。ネットで間違った情報を信じ、相手を攻撃することが正義だと思い行動するのです。自信教の原因は、自分自身の非対称化です。自分自身の目からしか他の人や周囲の状況を見るしかできない。自分自身を見つめることができないのです。

 

他信教の貧しい自我

 

他信教の人たちの一部は自身がありません。これまでに成し遂げたことがなく、それを周りのせいにしてきました。それが、間違っている、すべて自分が生んだのだ、今すぐ生き方を変えなければ一生をダメにするなどの指摘を受けたりします。すると指摘を受けたことにより自我が崩壊するか、その指摘が気になってしょうがなくなります。そして、その指摘を信じより多くの情報を求めていくのです。この流れは、宗教、自己啓発セミナー、YOUTUBEなどにみられる洗脳の手法です。無定見であることに気づいても自分で定見を獲得しなければ他信教の信者になります。

 

対策

 

流されるきっかけ

 

流される人や哀怒喜楽の人は、どのように我欲や衆愚から抜け出すことができるのでしょうか?

それは客観的な視点を持つことです。流されてしまい自分の欲求が出てしまうきっかけ(トリガー)を理解することです。「怒」の人なら自分の怒りのスイッチが入った瞬間を思い出し、その時の感情を思い起こすことです。その感情は、その時だけではなく度々あるのならばそれはトリガーです。

 

流されている自覚

 

そして次はそのトリガーが入った瞬間に「今またトリガーに入った!」「今トリガーに入りそうだ」「またいつものパターンだ」と自覚をしていきます。

 

反応を止める

 

しかし、トリガーに入って流されることを止めることができない場合は「回避」します。アンガーマネジメントでも6秒我慢すれば怒りはおさまるそうです。その場で我慢できないのならばその場所から回避することも必要です。

 

現状維持の欲求と退行の欲求

 

心場展開論による動機づけで述べたようにステージを飛び移ろうとしてもそうさせない欲求が働きます。それが現状維持の欲求であり退行の欲求です。

 

内観

 

哀怒喜楽の飛び石を飛ぶ

 

ATOOSの「心場展開論による動機づけ」では「哀怒喜楽」から次のステージの「平」に移るのには、マズローのいう段階説のように自然に高みを目指すのではなく、その間にはキャズムがありそのためには飛び石を飛ぶように乗り移らなくてはならないと述べました。

 

飛ぶためには何が必要か

 

そして、哀怒喜楽の飛び石から飛び立つためには、次のようなきっかけを見つけなくてはいけません。

 

・今いる場所でつらい経験をする

・今いる場所にに見切りをつける

・次の飛び石に強い欲求を抱く

・メンターに誘われる

 

ということも紹介しました。

我欲・衆愚から内観へのステージに移る時も同一です。誰もが自分の今の考えを否定はしません。そのためにはきっかけが必要なのです。

 

椅子を座り直す

 

我欲から衆愚に陥る原因は物事に対しての見方の偏りです。この人たちは常に視点は自分です。自分から見て正しい、間違っている、変だ、イケてるといった見方をします。内観に入ったら先ずは見方を変えることが必要になります。

最初から見方を変えるというのは難しいので、自然に行われる自分からの見方で価値判断して、「ん?」これはおかしいと思ったときに見方を変えてみます。

この「ん?」といった感覚が大切です。「ん?」という感覚は突然に降りてきます。今までとは何か違う、この感覚は何だろうという感じです。あるいは今まで通りこういう状況には私はこういう判断をしているが、少し視点を変えてみよう。

毎回こんなことをしていては思考が渋滞してしまうので、「ん?」という感覚を大事にしたいのです。そのためには、日ごろから偏見をもたないように、本質的なことを重視しよう、問題の表面的なことではなく奥を見るように意識しよう、という日頃の姿勢が重要になるのです。

 

因果心事への当てはめ

 

因果心事はATOOSの提供技術で問題解決の考え方です。複雑な問題解決に適応します。自分や相手もしくは他の状況にこの因果心事を当てはめていくと問題のどこに原因がありどう対応すれば良いかが分かります。

ここでは詳しく説明しませんので、因果心事のところを参照してください。

自分が困っていたり、悩んでいたり、不快に思っていたりしていることに簡単な対処で解決が図られない場合はその問題は複雑な問題なんだという認識が必要です。複雑な問題には問題の構造がありその構造を客観視して適切な解決策を討たないと問題は解決しないということです。そうでないと短絡的な対処を繰り返し、問題が解決されないばかりか場合によってはより問題をこじらせてしまうことが考えられます。

 

原因を調べる

 

因果心事では自分には「性体」があります。体質、性格などです。生まれ持ったものと環境からの影響で出来上がります。さらに、その「性体」とその人の考えが加わり「力」を持ちます。その人のパワーです。その「性体」と「力」が外側から見られるのが「相」です。この層の表れを分類しているのが「四態」です。「四態」は因果心事ではありませんが関連しています。

 

四態診断を行う

 

「四態」は人間の意識を「思考」「感情」「感覚」「意欲」の四つの態度に分けて分析しています。ここでは詳しくは説明しておりませんが、「四態」のところを参照してください。

基本はその人の特徴を外側から「」を見ることで「四態」を判断します。ATOOSでは分かりやすいように「四態診断」を行っています。

 

相手の態度を知ることで自身の態度を変える

 

相手の「四態」が分かったら自分と同じようにその長所短所を理解し、長所を伸ばし短所が出るような「フック」をかけないように気をつけます。「フック」とはきっかけのことです。例えば、「他力感情型」の人に外向きのパワーを否定されたり、抑え込まれることの言動は「フック」となるのです。

 

定見を持つ

 

我欲から衆愚の人たちは定見を持ってないと前に述べました。内観の段階では定見を持つ状態に入っていきます。定見を持つといっても簡単ではありませんので、ここではより重要な価値観や信念は何かということのいくつかの原則を決めておくことです。単純にすると「人にやさしく接する」という原則を持とうと決めると、自分や他人が人にやさしくしているかが定見になります。いくつか自分の価値を置いて言動の基準になることを決めておくことです。大事なのはその基準ができていないことが指摘されたりしても反論したりせず素直に認める態度が必要です。

我欲と内観のステージの違いは、行き過ぎた欲望から冷静な思考へ転換することです。そのために定見を持つために価値観や信念の言葉を決めることです。

 

一旦執着から離れる

 

しかし、行き過ぎた欲望から冷静な思考へ転換しようとしても簡単には変えることはできないでしょう。しかし、その欲望の暴発する一瞬を抑えたり「因果心事」や「四態」などを適応しながら様々な角度で移行していくのです。

 

本当の価値に気づく

 

価値観や信念の言葉を決めてもまだそれは願望のように独りよがりな段階です。自分がそれを行動の中で実践してではないと気づけないものもあるのです。資格取得のために勉強しても途中で辞めてしまうことがあるのと似ています。

資格を取ることの価値は分かっていても、様々な理由をつけてやらなくなってしまうのです。本当の価値観と信念を得るのには行動を通して磨き上げ本当の価値に気づくのです。

 

大分流比因人で整理する

 

そして、定見をATOOSの「大分流比因人」で整理することを勧めます。「」で重要な価値観や信念を決め、「」でそれを達成する中位下位の目標に分け、「」で実行に移すための計画を流れで示します、実行に移しその計画と結果を「比」で比べ、計画と至らない原因を「」で探り、その対策を「」で新たな意志として近い再チャレンジしていくのです。

 

幼稚園の砂場から定見は持てる

 

ATOOSは定見を提供技術という形で紹介しています。ただし、提供技術はATOOSの価値観と経験と信念の凝縮です。時代の流行による影響は応用方法で選りすぐりのものだけを紹介しています。すぐに飛びつかない。本当に価値のあるものだけを紹介しています。

しかし、定見がこのようなものだけではありません。私はまだシンプルにお伝えできる表現力がないので一見複雑になってしまっているだけです。

たとえば、「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場から学んだ」ロバート・フルガム著よりこんなシンプルで素晴らしい定見があります。

 

・なんでもみんなで分け合うこと

・ずるをしないこと

・人をぶたないこと

・使ったものは必ず元の場所に戻すこと

・ちらかしたら自分で後片付けをすること

・人のものに手を出さないこと

・誰かを傷つけたらごめんなさいということ

・食事の前には必ず手を洗うこと

・トイレに行ったらちゃんと水を流すこと

・焼きたてのクッキーと冷たいミルクは体にいい

・釣り合いのとれた生活をすること

・毎日少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、歌い、踊り、遊び、そして少し働くこと

・毎日、必ず昼寝をすること

・おもてに出る時は車に気をつけ、手をつないではなればなれにならないようにすること

・不思議だな、と思うことを大切にすること

・カップにまいた小さな種のことを大切にすることなど

 

 

内発

 

対話で他の価値観を知る

 

内観で定見らしきものを持ったとしてももしかしたならそれは間違っているかもしれない。別の言い方をすれば定見の不完全な状態の場合が多い。

椅子を座り直し見方を変えてみたとしても、それば偏っているかもしれない。それを確かめるためには、対話で他の価値観を知ることが必要になります。

組織も問題に対しても立場が違えば問題の捉え方が違ってきます。価値観が違えば問題の捉え方が違ってきます。時間の感覚が違えば問題の捉え方が違ってきます。規模の感覚が違えば問題の捉え方は変わってきます。

これらの違いは認知的な差によって生じるものですが、対話しなければその違いを理解することはできません。

 

相手の判断に惑わされない

 

仮に真剣に対話を始めたとしてもお互いに噛み合わないことも多いものです。対話はまだ始まったばかりです。あるいは相手は真剣にこちらの意図を理解する準備が不足しているかもし知れません。あるいは相手の対話のスキル不足でこちらの意図を掴む前に提案するかもしれません。このようなことをコミュニケーションの短絡化といいます。対話は、通常、質問、認識、解釈、判断、提案やアドバイスの順に行われます。しかし、このプロセスを経ずにショートカットされるのは多くあります。例えは。「ネットセミナーってなかなか相手に伝えるってのは難しいよな」「私は効果はないと思いますよ」「そうだよね」これは相手からの情報をいきなり判断、提案しています。これでは対話になっていません。しかも、それを受け入れて惑わされています。

 

自己開示し合う

 

対話に必要なのは自己開示です。先のどの対話のプロセスで例えると、A:「ネットセミナーってなかなか相手に伝えるってのは難しいよな」(情報)B:「ネットセミナーで伝える難しさってのはどういうこと?」(質問)A:「情報は伝えられるんだけど感情があまり伝わんない」(開かれた情報)B:[感情を伝えたいんだな](認識)「つまりネットセミナーでは情報だけでなく感情も合わせて伝えたいのかな?」(解釈)A:「そうなんだよ。分かってくれる?一緒の場にいるような空気感を出すためには感情を伝えることが大事だと思うんだ」(開かれた気持ち)B:「分るよ。やはりいい体感が欲しいよね。私も実は同じことを感じているんだ」(同調して開かれた気持ち

この例でお分かりのようにポイントになっているのは「感情」です。感情は共感を得るためのポイントです。しかし日本人は感情の表出に強く抵抗を感じています。国別の「仕事の場での感情の表出が許容されていない程度」の調査でイタリア29%、フランス34%、アメリカ40%に対しドイツ75%、日本83%出典Trompenaars(1993)p64と極端に感情を抑えます。新型コロナウィルスで動揺した妊娠中の情勢部下が上司に相談した事例では、「論理的に整理して相談しなさい」といわれたとのことです。しかし、当然不安が解消されずSNSで公表されました。

怖いことは、本音がいえない環境→表面的な対話→自分の方向から偏った見方→共有化されない問題→問題の悪化という悪化のプロセスをたどってしまうことです。

 

自分にインタビューする

 

自分に深い質問をする

 

もし、同じ目的をもつ関係の人がそばにいない場合や対話する人や時間がない場合は、自分に深い質問をすることをお勧めします。やり方は、WHY型でもHOW型でも良いのですが椅子を座り直しながら(あくまでもイメージ)自分に質問していきます。その質問に真剣に考え一つ答えます。そして。その答えを書いてさらに深く質問していきます。そうすると自分で意識していなかったことまで気づくことができます。

 

自分に反論する

 

質問の過程で自分の琴線に触れる質問が出てきたなら反論してみます。その反論も自分の本音から出てきた反論ならばさらに大きな気づきが得られます。

 

発信して反応を知る

 

集団が突然の問題に遭遇した時に即時に対応できる割合は1割程度の人しかいない。9割の人はその場に立ちすくんでしまうのだ。それではなくとも問題に対して待ちの姿勢になってしまう人は多い。しかし、そういうときこそリーダーシップを発揮して自分かか先に発信する姿勢が重要です。リーダーシップは目上のリーダーが行うのではなく誰でもがリーダーです。

発信すれが相手も反応せざるを得ません。これはGIVEが優先の原則の一種です。今回は拮抗した関係を打破するために最初に発信しましたが基本は理解することが先です。後ほど理解が優先の原則を説明します。

(原則と法則については原則・法則編を参照してください)

 

本音を吐露する

 

ここの内発のステージでの重要な要素は本音です。本音とは、心の声を話すということです。心の声には、ポジティブな心の声として、私には自信がある、皆と一緒ならできる、などの声があります。ネガティブな心の声として、本当にできのか心配、どうせ失敗するだろう、俺にできてもあいつにはできない、などの声もあります。もちろん本音ですのでポジティブなものだけではなく自分に感じた声を正直に伝え合う段階です。本音を切り出す時に「実は、・・・」という前置きの言葉がきっかけを作ります。しかし、スキルを意識しないでください。大切なことは本音を言い合うことです。

 

相手の本音を知る

 

本音を吐露すると相手も本音を言いやすくなります。その本音を、お互い邪魔せず促してください。促す言葉で促すといいでしょう。促す言葉には、反復言い換え映し出す感情の受け止め沈黙があります。

反復は、相手の言っている言葉をそのまま繰り返すことです。一番簡単ですがあまり頻繁に行いますと逆効果になりますので、注意が必要です。言い換えは、相手の言っている言葉を自分の言葉に言い換えて相手に伝えます。反復よりも難易度は上がりますが、上手くできればより促すことができます。映し出すは、相手の気持ちを客観的に言葉にすることです。例えば、「そんなに簡単にはできないと思っているんだ」「自分の方が上手くやれる自信があるんだ」というような言葉です。感情の受け止めは、相手の気持ちを積極的に受け止める言葉です。「確かに、心配する気持ちはわかるよ」「私も同じ気持ちだよ」などというようにです。

ここもあまりスキルを意識するというよりは、コミュニケーションの短絡化が起きないようにスキルで防止するようなイメージです。

 

心場の入れ子状態

 

お互いの本音を吐露し合うと、感情が表出し哀怒喜楽が現れ心場の逆展開が起きたように感じる時があります。せっかく内観して得られたはずの「平」の心場が哀怒喜楽に逆戻りしたかのような感覚です。しかしこれは錯覚かもしれません。

心場は、常にその状態が動きます。「平」の中にも哀怒喜楽があり、進があります。同じように「哀」の中にも怒喜楽があり。平、進があります。入れ子状態になっているのです。

しかし、大事なのは元の入れ子はどこなのかということが大事です。何かあったら必ずそこに戻るのです。これも復元の法則の一種の表れです。(原則と法則については原則・法則編を参照してください)

一見人格者のように見えても何か突然の問題が起きて怒りに任せて怒りがこみ上げ一向に収まらず長々と相手を攻撃しているのはこの人の心場は「怒」なのです。確かに誰しもが感情を持っています。平静をでも何か起きた時には感情的になることがあるものです。しかし、あまりにも強く、あまりにも長く、あまりにも理不尽に怒るのは「怒」なのです。ただただネガティブなのややたらめったにポジティブなのも哀怒喜楽のステージなのです。

 

上手くいかなければ一旦保留する

 

集団の問題に対し、対話をしてお互いに自己開示して、本音を言い合えるコミュニケーションを取るのはそうは簡単にはいきません。お互いのステージ、スキル、その他の環境が整ってようやく一致させることができるのです。

上手くいかなければ一旦保留し別の機会を待つことにしましょう。

 

発進

 

自分の小さな正義を知る

 

いよいよ発進のステージに入ります。発進というのは「進」を発するという意味です。「進」とは心場の「進」というステージであり、論語でいう「」に近いステージです。

人は基本的に自分を優先する本能があります。自然に逆らわないことが重要ですが本能のままに生きることが重要な訳ではありません。人間は知恵がありその知恵があるが故に自然を壊すのです。

しかし、知恵があるのなら知恵を働かせて自然に合致することを求められているのです。だだし、思考だけを使うのは知恵ではありません。感情(内発)で感じたことを思考(内観)で考えたことを高い次元(発進)でつなげるのです。

 

しかし、いきなりステージを上げようとしても無理なのです。無理は復元の法則で戻されるのです。ボランティアに行ってもつらい、汚い思いをすると辞めてしまうのです。それを誤魔化さずに気づくことが重要です。

それが小さな正義に気づくことです。

 

やれない自分や相手に気づく

 

小さな正義にどうしたら気づけるのでしょうか?一つは、試行してみることです。やってみるとすぐにわかります。大言壮語しても試行すれば一瞬にして気持ちやスキルや考え方が伴っていないことが分かるはずです。

そうしたらどうするか?少しづつ積み上げて繰り返すしかないのです。繰り返すことがステージを上げる唯一の方法です。これは繰り返しの法則です。

相手も同じです。言っていることだけでなく行っていることの両方を見て、気づいたことを伝えることが重要です。

 

やれることは何かを知る

 

試行した結果、気づいたことを伝えあうことで始めてやれることは何かを知ることができるのです。

ここで間違ってほしくはないのは、「進」のステージは利他をする人だけが獲得できるステージではありません。「心場展開論による動機づけ」で説明したようにマズローの「自己実現者が多い社会は普通人が行う攻撃的な略奪ではなく、自己実現者の利己的な行動が利他的な社会の利益につながるのだという主張であります。」ということもできるのです。これを解釈すると内発のステージにいる人が多い組織は我欲・衆愚のステージにいる人が行う攻撃的な略奪ではなく内発のステージの人の定見の獲得と共有の行動が他人を救わなくても自分で気づける組織に繋がると読み替えることができるのです。

 

保留した関係を揺さぶる

 

内発のステージで対話をして上手くいかない時は一旦対話を保留しました。いよいよ再開するときです。人は行動をみなす時はどん詰まりに遭遇した時です。にっちもさっちもいけなくなった時だけ人の意見に耳を貸すことができるようになります。

自分で考えたことがうまくいかず、言い訳を通用しなくなり、ぶつかり合って苦しくなって、逃げだすこともできないという条件が揃ったときに素直に心に響きます。

自分で考えたことが上手くいかないことは、対話したした内容についてその後どう対策を行動したかです。上手くいけば先に進めますがそうでない場合は上手くいかなかったことを共有します。

言い訳が通用しなくなることは、その理由を共有します。この時点で対話の中で言い訳が出てきます。それぞれの言い訳の中の矛盾を質問し合います。追求し合うぐらいのレベルの質問です。

ぶつかり合って苦しくなることは、感情をぶつけ合うことです。言い訳が通用しなくなることまで追求し合うとお互いの感情が出てきてそれぞれを攻め合うようになってきます。

逃げ出すこともできないことは、ぶつかり合って苦しくなってその場から去らないことです。去っても何の解決にもならずその場に留まるのです。ぶつかり合った結果、沈黙が生まれるかもしれません。しかしこの沈黙も大切です。

 

本音をぶつけ誠意を伝える

 

そして、ここに究極の本音が出てきます。「やっぱりみんなともう一度頑張りたい」「もう一度NO.1に返り咲きたい」「真剣に仕事に取り組んでみたい」という心からの本音です。その瞬間に周りが誠意で答えるのです「やろう!」と。

 

共進の現象

 

心場の入れ子状態は各心場のステージがそれぞれ入れ子になっていると説明しましたが、内発のステージ同士だけが発進のステージに移れる訳ではありません。それぞれの「進」のステージが共鳴した瞬間に下のステージの人を巻き込んで一気に発進ステージに上がることができるのです。

 

給付金の教え合い

 

自分で新型コロナウィルスの申請をした際に知らない人に申請の仕方を教えてあげました。お礼をしたいという言葉に対して是非その知識と経験を他のまだ知らない人に教えてあげてくださいといいました。そうしたら一所懸命に周りに教えてくれたようです。多分ステージは違っていましたが、利他が共感し行動につながったのです。「進」のステージが一気に共鳴した瞬間です。やがて元の入れ子に戻っていきますが、「進」のステージの共鳴だけが共進の現象を引き起こします。これ以外は違うステージ同士が共鳴し合うことはありません。

 

臨界・着火              

 

着火は発進の圧力が強いほど燃焼する

 

なべ底の原則で説明したように、深い鍋で作られた真のチームが真の集団的な問題解決を図ることができます。別の言い方をすればプラグの着火は発進の圧力が強いほど燃焼する

発進のステージまで到達できたなら次は着火のステージです。このステージで重要なのは強く大きベクトルを完成させることです。

 

すぐに行動に移すことが重要で完璧は目指さない

 

着火の火花はとても小さいそのままにしていては消えてしまう。すぐに行動に移そう。

失敗を恐れるあまりに準備に時間をかけてしまおうとするが、その準備で火が消えてしまったらどうする?

 

大きな大を描く

 

発進のステージまで進めることができたならば、組織は真のチームとなり大きなパフォーマンスを創出する可能性が出てきました。そのエネルギーが散消の法則で消えていく前に前に進む必要があるのです。

「大」は大分流比因人の大です。つまり目的などです。着火のステージの大はビジョンを意味します。強く大きなベクトルを持ったビジョンが必要です。ここでも対話を通して表出されるビジョンを創出されていくのです。

誰かが作ったビジョンを他の人が受けるのではなく、皆が共感できるビジョンが皆とともに作られてしまうイメージです。キング牧師の「I have adream」で始まる演説はキング牧師の夢でありながら多くの民衆の夢であったのです。

ビジョンの言葉自体は誰かが作ったとしても、ビジョンの思いは皆の思いでなければならないということです。

 

小さい欲から大きな欲へ

 

我欲にいる人は他の人の欲に興味はありません。興味があるとしたなら他人の欲が自分の利益につながる時だけです。自分の欲は小さな欲ですが、具体的で強い欲です。発進を経た欲は大きな欲ですが、抽象的でまだ弱さを秘めた欲です。なぜ弱さを秘めているかというと、退行の欲求の存在があるからです。ですから、真のチームのメンバーは常に他のメンバーに目配りし、エネルギーを送り合うことが必要です。

 

発動

 

個人発動のプロセス

 

これまで集団的な問題解決を軸に説明してきましたが個人の問題解決の発動のプロセスを紹介します。

 

大きく大分流比因人を描く(内観)

 

大分流比因人で大きく定見を描いてみましょう。さらに因果心事でこれまでの自分の考えや行動を振り返り原因も探っていきます。心場展開で自分の今のステージも確認します。相手のことが分からない時は四態を手掛かりにします。

 

自分にインタビュー(内発)

 

定見ができてきたなら自分が本来やり始めたいことを明確にしましょう。その際にやり始める力を理解し明確な目的設定をします。

自分のやり始める目標を他の人と対話を行い共感できるものになっているのかを確認します。もし、共感が得られない、反応が今一つ、ならば見直します。

対話はは4つの原則を意識しより良いものにしていきます。

 

降りてくるのを待ち集中して考え抜く(発進)

 

考えて考えて考え抜きましょう。そして、一旦そのことを忘れます。何かのきっかけや夢の中にそれはやってきます。降りてくるかのように。

 

降りてきたら言葉や形にする(着火)

 

共感が得られる目標ができたならば本当に自分がやりたいものなのかを再び問いかけます。納得できることを言葉にし紙に書き常に確認します。

 

メンターメンバーと共有(発動)

 

共感が得られる目標をメンターメンバーに共有していきます。たぶん適切な反応をしてくれるはずですから、それを真摯に受け止めて必要に応じて修正していきます。

 

やりたいことを見つける

 

やりたいことを決めるのに時間がかかったり、先延ばししたり、なかなか決められない人がいます。やりたいことを明確にできれば人は行動できるようになります。

 

やり始める力を発揮する

 

ATOOSでは「自己鍛錬論によるやり始める力」で人がやり始めるために必要な要素を紹介しています。流されずに自分の意志で何かをやり始めるにはやり始めるために何が必要なのか。やり始める力を養うことが必要になります。

 

メンターメンバーの形成

 

メンターメンバーというのは助言者、協力者の人をいいます。個人が独りよがりの欲求で自利的な目標を立て小さな影響力に留まらないための必要なメンバーです。

最初は、内発で協力してくれた人や自分の目標に共感してくれそうな人やあるいは厳しい助言を言ってくれる人などを想定します。

この段階では、自分と一対一の関係です。一対一の関係の時に自己開示GIVEが優先原則理解が優先の原則、などで接しましょう。相手の心場の入れ子の状態を見ながら接していきます。(原則と法則については原則・法則編を参照してください)

そうしているうちにメンターメンバー候補者が分かってきます。それは友類の法則が働くからです。この間様々な人と合うようにします。

一対一で接しているうちに見えてくるのはGIVEする人、GIVE AND TAKEな人(中間の人)、TAKEだけの人に分かれてきます。このGIVEする人をGIVERと呼び、TAKEだけの人をTAKERと呼びます。

そして、TAKERの人には近づかずGIVERの人をメンターメンバー候補者にするのです。別の見方をすればその人が自己実現者かどうかです。そして、メンターメンバー候補者を関係を構築し真のメンターメンバーになってもらうのです。

さらに、メンターメンバー同士を紹介し合っていきます。もちろん、互いに相性がありますのでチームにはならないかもしれません。もし、メンターメンバー同士同じ目的を共有することができれば、メンターチームができます。

GIVERで自己実現者のチームが出来上がった時に相乗効果の原則が生まれてきます。

メンターチームに至ることは大変ですが、それは自分の人格とリーダーシップ次第なのです。メンターメンバーがあなたと会いたい、あなたと同じ行動をしたい、あなたと共有の目的をもちたいと思うかどうかにかかわってきます。

もし、メンターチームが生まれた場合には、メンターチームが自己実現者を生むインキュベーターになるでしょう。

 

チーム発動のプロセス

 

チーム発動の事例として、二宮金次郎のケースをご紹介します。二宮金次郎はATOOSの論語マネジメントでも紹介しているので詳しくは説明しませんが、江戸末期の今でいう農業コンサルタントです。当時の事業の種類が全人口の大半が農業なので経営コンサルタントと考えてもいいのではないかと思います。二宮金次郎の集団的問題解決の一つは桜領(現在の栃木県真岡市)の復興です。当時は宇津家の領地でありましたが実際は小田原藩の大久保家が治めていました。藩主大久保忠真の命令で桜領を復興することになります。

復興のための下調査を行うが表向き四千両の石高で計算されていますが、実際には一千石しか上がっていない。一千石の石高に対して四千石の年貢をとるために農民は疲弊し働く気がなくなり飲む打つ買うの状態で荒れ果てていました。

正に哀怒喜楽のステージです。桜領を修めている代官や役人も年貢を誤魔化し横領していたのでした。しかも名主と組んで衆愚になっておりました。

 

認識の共有

 

金次郎はこのような人たちを無視し孤立させようと考えます。先ずは善行者に対する報奨を行いました。報奨金はすべて金次郎の個人的なお金です。GIVEが優先の原則で行動し始めるのです。桜領に来る前に小田原藩の服部家や自分が生まれた村の復興の実績があり、五常の考えを基本に分度勤労推譲というやり方を確立していたのです。つまり自分の定見を確立していたのです。しかし、助け、後押しするはずの役人から足を引っ張られます。官僚主義に陥っている小田原藩の役人から農民上がりの金次郎に対し抵抗する役人が小田原藩から桜領へ赴任してきます。もっとも抵抗したのは豊田正作でした。下級武士の豊田は最初から金次郎の仕法の粗探しばかりをしたのでした。

こういう状態は、桜領、小田原藩に限らず江戸末期の日本全国に観られた状況です。後に仕法を成功させた金次郎は幕府に依頼され他藩にも仕法を行います。

ステージ:内観

 

体験の共有

 

無論抵抗するものばかりではなく協力者や対話に応じるものが現れます。元々と地があるもののどの農民も耕作していないので他の土地から招かれた農民やそれまでの状態に問題意識を感じていた農民や協力的な役人の横山周平などです。金次郎も名主格から組頭格に昇格されます。これらの人たちを中心として仕法を進めるのですが、横山周平が去り豊田は反対勢力と結託しより強い衆愚となり、さらに二宮仕法に対する監視の目が厳しくなっていきます。このような状況に金次郎は強い挫折感を覚え成田山に籠ります。

失踪し行方不明となった金次郎を小田原藩の良識派が捜索のために桜領に戻した横山周平と金次郎を慕う農民とで金次郎を捜索します。金次郎は成田山の不動明王の絵と睨み合うようにしながら自分と向き合っていました。内観ですがここでは内発の後に内観に戻り見直しています。集団的問題解決は直線的に進みませんそれはらせんの法則があるからです。

自分に足りないものは何だったか?金次郎が出した答えは「心田開発」つまり仕法は農業のやり方だけを変えようとしても駄目なんだ。人間の心を開拓してではないと成果が表れない。と気づいたのです。対話の必要性に気づいたのです。思考だけでは問題は解決されない人の心つまり感情が開かれないと解決しない問題なんだと。やれない自分や相手に気づいた瞬間でした。また、金次郎も復元の法則により力づくで行おうとして力づくにより反対されたのでした。金次郎は理解が優先の原則にも気づくのでした。

「金次郎の改革推進方法は、ある目的を達成したら、次の目標に取り掛かるというような方式ではない。つまり団子を一つづつ串にさしてゆくようなやり方ではない。数個の団子を駆使から抜いて横に並べてしまう。そしてこれを同時並行させるのだ。(出典:二宮金次郎の経営学著者童門冬二)」秀才金次郎だからできる所業です。こうなるとすべて設計図が金次郎の頭の中だけにあるので周りの者は只々言うことを待つしかならなくなります。

ステージ:内発

 

発想の共有

 

これまでは金次郎の指揮のもとに周りを動かしていただけでした。二宮仕法は金次郎の仕法でありやり方は金次郎しか知りません。だから、変革を恐れる役人や農人から反対され、中間派の人にお手並み拝見という消極的態度にでられ、成田山に身を隠された支持派の横山周平や農民も何もできずに仕法を進められないので只々金次郎を探すしかなかったのです。金次郎にとって桜領における最大の挫折です。しかし、この挫折が報徳思想を生み報徳仕法を実践させることにつながるのです。これはなべ底の原則です。挫折という鍋の深さが必要だったのです。

反対派からも変化が起こります。岸右衛門は役人の豊田正作とつるみながらもこれまでを振り返ります。これまでの年貢藩主大久保にかけあいを半分にしてくれたこと、反対派である岸右衛門にも自腹で報奨してくれたこと。それ以上にこのまま金次郎が桜領に戻らなかったらまたかつての荒れ果てた桜領に戻ってしまうことに気づいたのでした。岸右衛門も自分が正しく村のためにと思い反対したのでした。岸右衛門も正義の人だったのです。金次郎の失踪により自分の小さな正義を知ったのでした。そして、それぞれの「進」のステージが共鳴した瞬間に下のステージの人を巻き込んで一気に発進ステージに上がる現象つまり共進の現象が起きたのです。(原則と法則については原則・法則編を参照してください)

ステージ:発進

 

願望の共有

 

成田山から戻った金次郎は新たに小田原から派遣された推進派の小路只助や戻ってきた関谷周平や反対派から推進派に転向した岸右衛門らと対話しながら仕法を進めます。順調に進んでいる金次郎の仕法でしたが一つ気になることがあります。それは宇津家の財政です。元々桜領は四千石の石高を一千石しかなかった出来高ですが小田原藩主にかけあい二千石にしてしてもらったのですが桜領だけ年貢を減らす訳にいかず藩主が他から工面してもらったものでした。その妥協が宇津家の暮らしを保障することに繋がってしまったのです。これは宇津家そのものに仕法を適用する金次郎の大きな大を描いた瞬間でした。小路や関谷が官僚の腰掛でなく金次郎とともに継続的に仕法を進めたいと思うのも金次郎が積小為大しながらもより大きなビジョンに向かい問題解決していくことに魅了されたのかもしれません。

そして、宇津家の当主は物分かりのいい人物で金次郎の分度に従うのです。金次郎の示した分度は上に厳しく下に厚いものでした。当主の出費や「使用人の上層部は減額、しかし下級職には逆に増額する。(中略)家の復興は現場で働いている下級職のやる気がすべてを決する((出典:二宮金次郎の経営学)」というものです。

ステージ:着火

 

試行の共有

 

桜領に来る前に行った服部家への分度は服部一家が渋々承知した分度です。しかし、宇津家の分度は宇津一家が積極的の承知した分度です。宇津当主は桜領の金次郎の仕法に感嘆したのだと思います。そういう意味では、組織の変革は試行段階が必要であり、その期間に周囲の開かれた心が同時に進行していくのだと思われます。たぶん金次郎も気づいていないところで起こっていた現象だと思います。

金次郎の足跡は試行の積み重ねでした。父の破産や縁戚から夜学で必要な油の使用禁止が菜種油の自家栽培という行動に繋がり、菜種油が生家復興の試行になり、生家復興が村の復興の試行になり、村の復興が服部家の復興の試行となり、服部家復興が桜領の仕法の試行となり、桜領の仕法の成功が宇津家の復興の試行となり、宇津家の復興が小田原藩の復興の試行となり、小田原藩の復興が幕府からの要請の試行となったのです。

残念ながら維新政府に討幕されたので幕府の復興はできませんでしたが、後に明治天皇が金次郎の報徳記を勅命まで出して時の全国の知事や政府の高官に読ませています。

金次郎が成田山から桜領に戻って来た時に農民の誤解という問題も起きます。金次郎独自の報徳思想を自分勝手に解釈してしまう問題です。報徳思想は仕法を進めるためのバックボーンです。平たく言えば飲む打つ買うの農民に真面目に働く理由です。金次郎が我欲・衆愚のステージにいて無定見で無目的な人々に定見と目的を与えたのです。しかし、ステージは直線的に変わらない復元の法則が働くのです。金次郎は教場で急いで再び農民へ伝えようとします。なぜなら、散消の法則が働いていくのが分かっているのです。だから繰り返しの法則でしっかりと正しいリズムで行動できるように行われるように仕向けるのです。

ステージ:発動

 

実現の共有

 

桜領の仕法を成功させた金次郎は小田原藩や幕府の召し抱えで他藩の仕法に取り掛かり成功を修めました。その間に四大門人をはじめ子孫たちが金次郎の遺志を継ぎます。桜領の頃と違うのは門人子孫の自己実現者が金次郎を支えることで相乗効果の原則が実践され、行動変化の法則が正の循環で回りだしたことです。ある意味門人や子孫はメンターチームかもしれません。大きな挫折のきっかけとなった豊田正作はその後、尊徳に教化され支援者となっています。つまり豊田正作も「進」に進むことができたのです。

ステージ:実動

実動

挫折

いよいよ実動のステージです。これまでの集団的問題解決の実行段階です。これまで様々な準備をしてきました。開かれた思考と開かれた心で時にはメンターチーム組み成功に向けて実践するときです。

しかし、これまで関連した人々は問題解決の意義を理解していますが、そうではない人は我々の問題解決に協力するとは限りません。その問題解決の方法が革新的なほど、反対してきたり、関心を向けなかったり、お手並み拝見を決め込む人が出てくるのです。それらの対応を間違えると問題解決の進行が止まり、それ以上、前に進むことができなくなります。それが挫折です。

挫折への対処の方法については事例編で説明していきます。

 

振り返る

 

実動段階に入ったら定期的に自分を振り返ろう。

もしうまくいっていないのならば次の質問を上から答えてほしい。

出来ているところまで下りて行ってほしい。

そうすれば原因が見つかるだろう。

 

 

・日々拝礼は行っているか?怠けてないか?・現在の行動が「挫折」に入ってないか?その対処は適切か?

・各法則に陥っていないか?コントロールできているか?

・「着火」の時の気持ちは褪せていないか?

・大きな欲が小さな欲に変わっていないか?

・メンターメンバーや組織の人やお客様とと本音で話せているか?

・各原則ができているか?形だけになっていないか?

・恐れを抱き始めてていないか?

・自己開示できているか?

・感情に気づいているか?感情を無視していないか?

・自分へのインタビューを時折して自分の心を覗いているか?

・大分流比因人で自分の定見は確かか?

・やり始める力とやり続ける力は枯渇していないか?

・自分の目だけではなく、相手の目で見ているか?

・流される対策は適切に打たれているか?反応を止めているか?

・哀怒喜楽に落ちていないか?

・自信教や他信教になっていないか?

・流される人になっていないか?

 

やり続ける力を発揮する

 

拝礼

 

ここでいう拝礼とは自分の願望と目標を毎朝と就寝前に声に出し繰り返し読み上げる。

まるで拝礼のように。毎日だ。

一日も休んではいけない。繰り返しの原則で自然のリズムになるまで続けるのだ。

 

やり続ける力

 

やり始める力がついてもやり続けられるかは別問題です。本当の価値に気づくでも述べたように人は続けられず辞めてしまうことも多いのです。そのために「やり続ける力」も必要です。「やり始める力」と同様に「自己鍛錬論によるやり続ける力」もお読みください。自分のケースが見つかるかも知れません。

 

最後に

 

今回は長い説明になりましたが、7つのステージの過程を経ることで集団で問題解決が行われていくイメージがついていただければ幸いです。

現在起きている国内外の問題を振り返ってみても、衆愚・我欲のステージの流される人が多く、無目的で無定見な言動が多く、対話が成り立たず、他者との自己開示も共有ないことがないことが浅い鍋に終わり問題の解決に至らない悪循環に陥っていることがお分かりかと思います。

少しでもお役に立てられることを切に願います。次は、原則・法則編です。