心場展開論による動機づけ
心場展開は問題解決の抜本対策
因果心事で説明したように問題に対する対策として当面対策は因果展開であり、抜本対策は心場展開であると述べました。心場展開は先にも述べましたが人の心の状態を底辺から哀怒喜楽平進の順にステージが上がっていくということも説明しました。
しかし、何故に哀怒喜楽平進の順なのか、マズローの欲求階層論とどう違うのか、ステージを上げる上で心掛けることは何かを説明していないので改めて説明します。
感情と思考
人は脳の中で感情と思考があります。人間は動物の一種であり動物的な感情は強く人間を支配しています。一方で思考は動物の中で人間のみが有している機能であります。
哀怒喜楽平進の中で哀怒喜楽は感情に大きな影響を受けます。喜怒哀楽は感情を言い表した言葉です。感情の中でも哀しみは身近の人の死や病気、自身の病気、絶望などで現れ一番どん底の状態です。怒りは自分の思い通りにならない、他人から攻撃を受ける時などに起こる感情です。哀しみよりは良い状態ですが感情に支配されている点では低いステージであります。喜びは欲求が満足し脳内物質のドーパミン出ている状態です。快楽ではありますが感情の中にあります。楽しみは感情の中に少し思考が入った状態で脳内物質もバランスが取れてています。
平は思考が優位
感情に振り回されているよりは自身の置かれている状態を客観的に見つめより高いステージに自身を高めて行くことが必要なので思考が必要となります。思考を優位にすることで安定した状態を維持することができます。
マズローの欲求5段階説
アブラハム・マズローの欲求5段階説は心理学の基本であり、経営学を学んだものにとってもよく知っている考え方でしょう。
生理的、安全性、社会性、所属と愛、承認と尊厳の欲求と怒哀喜楽
マズローが訴えた欲求階層論で有名なのは人間の欲求をが段階に分けより低次な欲求が満たされると高次な欲求に目指すと言うものでした。
詳細はここでは省きますが、マズローは人間の欲求はより個人にとって必要な欲望が満たされるほど、より知性的で人間が動物と違う思考する次元を目指して行くのだと考えたわけです。
ATOOSは、感情の中にある喜怒哀楽が人としての営みに現れるのか、そして低次なものから並べると哀怒喜楽であることもお伝えしました。
ここではっきりとお伝えしますが、ATOOSの心場とマズローとの違いは、マズローは低次な状態が満たされると高次な状態を目指すと述べましたが、異論があります。
人は通常な状態だとほとんどの場合に哀怒喜楽と平と進のステージに意識の差があると言うことです。
それぞれのステージにはキャズム(溝)が存在します。欲望のある状態の人は職業を待つ人であれば少しでも高い給与を目指し、より有名な会社に入り、その中で出世を望みます。その中で、欲求通りにならなければ悲しみ、怒り、喜び、楽しみがあります。
例えて言うならば池井戸潤の半沢直樹の支店長です。彼は哀怒喜楽の頂点です。哀怒喜楽のステージでは己の欲望を他人との比較においてを追求する訳ですから、組織の中で承認され権力という尊厳を得ることは満足できる価値観なのです。
しかし、主人公の半沢直樹は他人との比較においてではなく自身の価値観が基準なのです。この違いは哀怒喜楽と不連続なのです。
ドラッカーの石工の譬え
もう一つ、ドラッカーの譬えの中に石工の譬えがありますが、これはある人物が3人の石工に「何をしているのか」を尋ねると3人からそれぞれ違った返事がありました。1人目は「これで食べている」と答えました。2人目は「国で一番腕の良い石工の仕事をしている」と答えました。3人目は「教会を建てている」と答えました。これらの3人のうちで3人目がマネジメントの資格があると述べました。マズローは1人目の人も2人目の人も切り捨てる訳にいかない。1人目の石工は「安全の欲求」の中におり、2人目の石工は「承認の欲求」の中におり、3人目の石工は「自己実現の欲求」にあると見たのです。1人目の石工も2人目の石工も今いる欲求が満たされればより高次な欲求へ向かっていくのだと考えるのです。
自己実現と平
半沢直樹は自身の中に価値観を持ち哀怒喜楽の欲望を持つ普通人からしてみると、明らかに変わって見えます。マズローが明らかに身も周りの中に他と異なる人の存在に目を留めます。その人達は明らかに大衆と異なった価値観を持ちそれらの人を自己実現のステージの人だと位置付けました。
半沢直樹も同様です。半沢直樹は初めは大衆と同じステージにいましたがあることをきっかけにして自己実現者となり承認と尊厳を追い求める者と対立します。
今、半沢直樹の様な自己実現者がヒーローになるのは視聴者側が大衆の中にいる自分と理想的な半沢直樹を比較しているのでしょう。
更に、今後は収入は少なくても自己実現者でありたいと思う人がもっと増えて行くでしょう。
しかし、自己実現者はそんなに安易に到達が出来ないのです。マズローが自己実現者が共通にもつ15の特徴を挙げています。詳細な説明は省きますが、正しい目を持ち、他者を受容し、自然で、課題中心で、自立していて一人でも孤独を感ずることなく、孤高な存在で、でありながら共同体意識を持ち、少数との深い関係を好み、認識が新鮮で、神秘的経験を有し、民主的で、高い倫理観を持ち、哲学的なユーモアがあり、創造的で、超越的な存在です。
何故か論語で孔子が述べる君子と共通な要素があります。この様なステージに簡単に上がることは難しいと思います。
普通人は欲望があります。金銭欲があり、孤独を恐れ繋がりを求め、褒められれば喜び貶されれば悲しむ。欲望がある者はそれが満たされた時を最上と思い目指します。ただし、努力も続かないので安易に手に入ることに注目するのです。喜び楽しみが頂点です。しかし、哀怒喜楽はぐるぐる繰り返されひと所に落ち着くことはありません。
ATOOSはマズローのようにそれぞれの段階を階段のような構造であるのではなく飛び石のような構造になっていると考えます。
「哀怒喜楽」の普通人のステージの飛び石と「平」の自己実現の飛び石と超越的な「進」のステージの飛び石に分かれています。
階段と違うのは、ステージを変えていくためには飛ばなければ辿り着けないということです。
ドラッカーの石工の譬えに戻りますが、1人目の「安全の欲求」から2人目の「承認の欲求」へは連続性があります。石工の職を得て食べられるようになり、安定して仕事が得られ、職人の仲間に入り、そしてその積み重ねで職人の頂点に立つという段階があります。しかし、教会を建てることによって教会に集まる人々が幸福になりそのことによってまた多くの教会が全世界に広がってさらに幸福な人々が増えていくための教会を作っているという考えは連続性がありません。
普通人は欲望をエネルギーにして行動していきます。哀怒喜楽の普通人は哀しみたくない、怒りたい、喜びたい、楽しみたいを得るために動機づけられています。その欲望の欠乏が動機となっているのです。しかし、平の自己実現者は自分自身でありたいという動機に動機づけられています。哀怒喜楽から平に行くためにはその欲望の欠乏動機から抜け出さなければ進むことができません。
今いる飛び石から次の飛び石へ飛び立つ
哀怒喜楽の飛び石から飛び立つためには、次のようなきっかけを見つけなくてはいけません。
・今いる場所でつらい経験をする
・今いる場所にに見切りをつける
・次の飛び石に強い欲求を抱く
・メンターに誘われる
今いる場所でつらい経験をするは、自ら望むことではありませんが大きなきっかけになります。大切にしてきた大金を失う、信じていた人に騙される、長い時間をかけてきた目標を失うなどは絶望することでこれまで執着してきた自分が追い求めてきた価値を見直すきっかけになります。
今いる場所に見切りをつけるは、つらい経験をするような瞬間的なものではないもののこの先価値がどんどん薄れ仕舞にはなくなってしまう状況です。
次の飛び石に強い欲求を抱くは、本や人と接することにより「平」の状態になりたいと刺激されることです。自分が追い求めてきた価値が新しい価値を知ることで無効化される状況です。
メンターに誘われるは、「平」のステージにある人に気づかされ、誘われて、教えを乞うて進んでいくような状態です。
動機づけ2.0
古い動機づけの考え方は人には欲望がありその欲望が何かを理解しそれに対し誘引し方向づけるというものでした。しかし、誘因のの方法が狭められていきます。先ずは金銭的な誘因の限界です。親に収入や資産があり生まれた頃から何でも揃っているし何か欲しければ与えられ大人になってからでも続いている。このような場合、金銭的な誘因は動機づけにはなりません。
他に承認的な誘因の限界です。目標達成し組織に貢献すれば評価が高まり組織内部で昇格させるという誘因ですが、昇格することでより高いプレッシャーと責任が伴うことでプラスマイナスを判断し強い誘因になっていないということです。これには特に最近の企業側の管理職をなくしたりより多くの仕事をさせ、それを見ている一般職が管理職になるのを敬遠したがるという状況もあります。
これらの外的動機づけには限界があるので内的動機づけによるモチベーションアップが求められていきます。人を外からの誘因によってではなく内側にある有能感、自己決定、達成感、成長感、フロー経験などで動機づけしていくものです。しかし、これらのような内的動機づけは運用が難しくまだビジネスでは上手く使われていません。
外的動機づけは、これまでビジネスの中で給与制度、職能資格制度、報奨制度、目標管理制度などで管理運営してきた歴史がありますが、内的動機づけではまだ仕組みになっているものは少ないのが現状です。
そもそも内的動機づけは他者がコントロールしにくいのです。半沢直樹が組織の論理で行動しないのは自分の中にある価値観によって動かされていると先ほど述べました。ATOOSの「自己鍛錬論による指導論」の内省援助の考えも自分の中にある価値観の完成のための支援です。
日本野球界の変化
日本の野球界も野茂英雄以降は選手との関わり方が変化していきました。野茂英雄の時はメジャーに選手が行くことを抵抗しました。その後、メジャー側からの選手獲得の公平性を求められポスティング制度ができました。動機づけの制度とは異なるのですが、年俸や契約期間による外的動機づけからメジャーを目指す自己実現を可能とする一つの仕組みとしては参考にすべき制度ではないかと考えます。
人を内部に囲って管理しようとするのでなく組織そのものが人の成長の機関であり成長させた対価の見返りがあるというものです。しかし、雇用関係ですと実現は難しくプロ野球のように個人事業者であるので可能な制度かと思います。
インフルエンサーの登場
幻冬舎の編集者の箕輪厚介氏は幻冬舎の編集者という社員の肩書を持ちながら、自分で会社を持ち、様々な場面で活動しています。幻冬舎の社長の見城徹氏も彼の才能を見抜き育て自由にすることで幻冬舎の成長機関としての存在を示していると考えます。
中田敦彦氏は芸人としてこれまでテレビを中心に活動してきましたが現在ではYOUTUBEに軸足を移し活動しています。所属は吉本興業ですが芸人の活動以外では比較的本人に自由に活動を認めているようです。
堀江貴文氏はインフルエンサーの代表格ですが、堀江氏の考え方の基本にあるものは日本の社会や組織にあるベースは既存にある制度を使って変化させるのは難しく、技術革新を利用して既存の制度より離れたところに身を置き旧制度を無効化しようとしているのではないかと推測します。
すし職人や月十数万の労働者を非難しているのはブラック企業や氏の考える大切な時間を無駄にさせているところにいて気づいていないもしくは気づいているのに嘆いてばかりいる人を非難しているのです。また、金に強く欲求を抱く人も非難しており、マズローのいう欠乏欲求に支配されている人を非難します。一方、そういった企業や価値観から離れ距離を置いて好きなことで生きていくことを推奨しています。自身は自己実現者として振舞っているように見えます。
しかし、マズローが挙げた15の特徴の全てが彼ら達には見当たらない。
先の三氏ほど有名ではないのですが中村文昭氏は上京し出会った社長に導かれ人生において重要なことを学び実践し起業家として成功し、その学んだことを全国で公演しています。中村氏の師匠でもある田端俊久氏は成長機関であり中村文昭氏は自己実現者だと思います。
自己実現の先にあるものと進
マズローは自己実現の先にあるのはスピリチャルな状態のステージだと考えていた様です。実は欲求は5段階ではなく6段階のように分かれると考えていたようです。自己実現は前半と後半のように分かれると考えています。具体的には「超越的でない自己実現」と「超越的である自己実現」という分け方です。
では何が「超越的」なのかは、マズローのユーサイキアという考えを説明しなくてはなりません。マズローの著作の「人間性の心理学」において、「すべての人が心理学的であるような心理学的なユートピアの状態、これをユーサイキアと呼ぶ」と定義しました。個人的な自己実現者が集団として集まった時に現れる理想の文化や社会だということです。
また、ユーサイキアはルース・ベネディクトのシナジーの考え方を基礎においております。シナジーとは「目立って非攻撃的な社会では、その一員の同じ時の同じ行動が、その人の利益だけではなくその集団全体に役に立つような社会機構を備えていることである」とマズローが「人間性の最高価値」で説明しています。
私が個人的に面白いと思うのが宗教的な救済をマズローが最高位に上げるのでなく、自己実現者が多い社会は普通人が行う攻撃的な略奪ではなく、自己実現者の利己的な行動が利他的な社会の利益につながるのだという主張であります。
例えていうと、無償で行為を提供することにより提供者は称賛、提供したことの満足などの報酬を得ているということです。日本ではボランティアをしている人に対して自己満足のためだと非難する人がいますが、マズローはそれで良いのだというでしょう。
幻冬舎の見城徹氏の箕輪厚介氏への対応は見城徹氏自身に見返りがあるのです。箕輪氏が有名になることで幻冬舎も有名になるのです。このような成長セクターとしての企業の役割をマズローはユーサキアン・マネジメントと呼びました。
企業を成長セクターに変えるためには
欠乏欲求の充足では動機づけられない人や自己実現の欲求を持つ人に対してどのようにすればいいでしょうか。仮説ではありますが、次の要素を企業が取り込んでいく必要があるでしょう。
・個人を独立した存在と認め企業に対するロイヤリティを求め過ぎない
・組織と個人の目標の融合を常に考え指標とする
・昇格や昇給などの外的動機づけ制度だけでなく内的動機づけ支援策を拡充する
・組織内に縛ることなく組織外に出てもつながりをもてるようにする
・個人の成長の見返りは成長させる機能を大いに宣伝しそのことにより新たな人を獲得する
ATOOSの心場展開の「進」は他者との融合です。「平」では思考優位な状態ですが進では感情と思考も高次に融合していきます。
現状維持の欲求
これまで自己実現の欲求を目指しそのために何が必要かを説明してきました。
ところが必ずしも人は成長欲求を持つとは限りません。現状のままが居心地が良いと成長に対する欲求を拒否する場合があります。こうなると成長の欲求を持つ人や情報から遠ざかる、もしくは無視するなどの態度を取ります。更に、現在の様な情報社会では無視しても情報が入ってきますから、正当化を目的とした反論をして抵抗していきます。
反論された側は更に反駁を行いますが、現在はその主張が噛み合うことは稀です。顔が見えない情報化社会でのやり取りはお互いの顔が見えず自己の正当化のための反論の繰り返しばかりです。
現状維持の欲求の理由
ではなぜ、現状維持の欲求が起きていくのでしょうか。
前に、ATOOSでは哀怒喜楽と平と進の間は階段上ではなく飛び石の様なものと説明しました。
階段とは違い飛び石は飛ぶ側に大きな負担と勇気を強いります。また、現状の意欲の長所が別の意欲の短所になっている場合は抵抗が更に強くなります。
感情派と思考派の拒否反応
感情派は自分達のことをポジティブ派と呼びます。感情派は元気、素直、行動、喜びなどを信条とします。一方、思考派は理性、慎重、計画、落ち着きなどを信条とします。お互いの違いは実は信条の違いよりも体質や気質の違いが大きいのです。
信条の違いであれば長く話し合いの中で理解し場合によっては一方の転向も期待できますが、体質や気質が異なる場合は仮に転向しても大きなストレスがかかります。
あるいは、本能的にその違和感から拒否反応が出てくるのです。
退行の欲求
更に成長の欲求に進むのではなく欲求が退行していく場合があります。
マズローの欲求階層説は下の階層ほどその欲求は強くなります。つまり生存の欲求が一番強いのです。人は成長したいという基本的な考えを持つと言われていますが、次の段階に進みたいのに進むことができない強い障害や別の飛び石へ飛ぶ負担が大きいと絶望感が生まれ、進まずに退行していきます。
世界中で起こる保守化の波
欧州では難民への抵抗から難民排除理念に保守化しています。米国では経済格差や自国主義を理由に保守化がしています。日本でも中韓への対抗から保守化しています。
理由は異なれどなぜ保守化しているのかは、それぞれの理由が現在の欲求を危険な状況に落とし入れると考えて、より強固にするために退行していると考えます。例えば承認の欲求にある人が、自身や家族の生存のために難民排除の考えを持ち、同じ考えの政党を支持するなどです。
この様な場合は自由、民主主義よりも保守主義の欲求の方が強く人の欲求を刺激します。
次を目指して生きる
心場展開は必ずしも進が人の完成とは考えていません。人間性の研鑽を目指し少しでも理想に近づける努力です。ですから、途中で人生が終わっても失敗ではありません。失敗は諦めた時です。
ですから、人には希望が必要で絶望する状況を作られたり作ることは強く避けねばなりません。
目の前の問題と足下の問題
因果心事で紹介している問題解決の方法は目の前の問題の解決と足下にある自分の価値観を変え成長させることによって問題の解決を図ることに分けられます。常に目の前にある問題を解決できるとは限りません。因果展開をしてもその外側の状況を変えることができない場合は内側の自分自身を変えていくことしかないのです。
問題が起きた時にその時点で外側の状況を変えることができなくても、一つ進んだ内側の自分自身のステージから見直してみると見方が変わって問題を解決できるようになるかもしれません。
最後に
今回は心場展開の理解を深めるためにマズローとの対比を通して説明いたしました。これまで東洋思想をベースに説明させていただくことが多かったのですが、マズローの心理学はマズロー自身が東洋思想の影響は少ないようですが、かなり共通の価値観を持っていると思いました。著名な心理学者のマズローを比較するのは恐れ多いのですが、心場展開を活かしていただき皆様の役に立てることができれば望外の喜びです。