自己鍛錬論による独りで学ぶ力

独学をする理由とは

 

自己鍛錬論の応用方法の第三弾は独学を題材とします。第一弾のやり始める力は行動のスタートでありました。第二弾のやり続ける力は行動の過程でした。第三弾の独りで学ぶ力は時間軸の違いではなく行動をするために独学で学ぶやり方について説明したいと思います。

独学というと目標が資格の取得や知識の習得を思い浮かびますが、独りで学ぶ力は行動のための独学です。ですから、単にインプットではなくアウトプットを目的にしたインプットを前提にします。

自己鍛錬論の基本は自らが考えることにあります。ですからなぜ学ぶのか、何を学ぶのか、どのように学ぶのかをできるだけ自分で考えます。しかし何もかにも自分独りで鍛錬するのではなく周り資源も活用します。

また今回は、宮本武蔵の考え方を主に五輪書を通して説明していきます。宮本武蔵は齢十三歳から生涯六十余の戦いを行い全て生涯無敵だったといわれています。独自に二刀一流の兵法を編み出し、正に独学のお手本となる伝説の人物です。武蔵は五輪書を通して兵法真髄を説明しておりますが、兵法のみならず独学するものにとって参考になる所も多いと思います。その証拠に、武蔵は諸芸にふれ諸職の道を知る事を重視しておりますが、兵法以外の絵や彫り物も一流の作品を残しています。必ずや独学を目指すものの支えとなる事でしょう。

 

独学のメリット

 

私はテニスを楽しみます。最初は、ラケットを握ったこともない訳ではなかったのですが、コートではなく空き地で適当にボールを打つ程度でした。テニスを始めて最初3年の程はテニススクールに通いました。その後仕事の忙しさでスクールに通えなくなり近所のサークルに入れてもらい少し教わりました。最初の4年間ぐらいは成長したように感じましたが、それ以降は伸び悩んでいました。

しかし、これは私だけではなく同じようなことが周りでも起きていました。20年ほどテニススクールに通っていた知人は辞めてもさほど変わらず、この20年は何だったんだと嘆いていました。7年テニススクールに通っていた別の知人は独学で学んだ標準的な技術を伝えるとスクールでは教えてくれないと言っていました。

これはテニススクールの教え方が悪いというだけではありません。私が通っていたテニススクールはグループレッスンです。時間内に毎回テーマを変えての短い練習をします。そのテーマは当日に知らされ事前に生徒が知ることはありませんでした。常に笑いが絶えずミスをしても励まされたり笑いあったりする居心地の良い空間でした。クラスはレベル別に分かれているのですがどのような状態になったら上のクラスに行くかは定かでありませんでした。質問することはできますが他の生徒のこともあり時間が取れませんでしたし、しっかり聞きたいのなら個人レッスンを頼みなさいという感じです。私はそのスクールを辞めました。

しばし伸び悩んでいた私は独学し直すことにしました。まず、テニスに関する書籍やDVDを購入しました。書籍は安価でイラストが入っていましたが細かいところが分かりにくい欠点がありました。DVDは動画で分かりやすいものの高額なものが欠点でした。その後、YouTubeにある動画を見つけ何回も見直して練習で試しいくつか身に付けることができました。この動画はあるテニススクールのコーチが種類ごとに動画をアップしているので繰り返し視聴することができるのが長所ですが教えている内容はスクールと同じような説明でした。他の動画を探すと、自分でどのように練習するかを説明している動画を発見しました。動画では身体の関節の動きからどの筋肉を使うかなどの説明がありなぜそれを行う必要があるかどのように細かく行えばよいのか、が明確に説明されていました。説明をうのみにするだけでなく適用のしかたを自分で考え、少しづつ実践に取り入れていきました。

すると自然に周りの評価が少しづつ変わってきました。常に実践していたわけでなく独学を行動に移した時は成長を実感し行動していない時は実感できませんでした。つまり能動的な学びと実践が行動変容を引き起こすことを体験できたのです。

 

テニスに限らず、独学の必要性は高まっています。以前であれば学んだ知識やスキルは一生ものでした。大工さんは若いうちの修行で身に付けた技術で一生食べていけました。美容師さんは昔の技術だけで陳腐化されますが少し新しい技術を覚えれば仕事は続けられました。しかしコンピュータープログラマーは常に新しい知識や技術を学び続けねば行かなくなります。このように現在に近づくほど変化のスピードが速くなり新たな仕事ほどベースとなる知識や技術が変化していきます。そのためコンピュータープログラマーに限らず多くの職種で技術革新が起こり学び続けねばいけません

 

独学の最大のメリットは自分が生徒であり先生であるという点です。教育を受ける立場であれば自分が生徒で他の人が先生です。そのために生徒は与えられた内容を受け身で学んでいくのが基本です。先生は教え方を考え生徒の理解に合わせて教えていきます。この客観性が学習にとって効果が上がる要因だと考えます。

 

でも独学ではなく教育機関で学べばいいのではという問いが生まれます。

大学などの教育機関は基礎教育に力を入れているために就職してすぐに仕事の成果に結びつく教育の内容になっていません。ですから、就職してから更にOJTかOff-JTで教育しなければならない。しかし、以前と比べ新卒者の離職率が高まると企業の教育に対する考えが変わり既に知識やスキルを持っている中途採用が多くなっている状態が続いています。教育のコストパフォーマンスが悪くなっています。教育機関のコストは上昇を続けていますが対するパフォーマンスは良くなっていません。2020年のトピックである新型コロナの影響である授業のオンライン化は授業料は変わらないか増えたにもかかわらず教育効果はリアルの授業に対して上がっているとは聞きません。

このまま技術革新が進み学ぶ頻度が多くなるのにもかかわらずコストが増え続け低いパフォーマンスにあり続けることは大きな問題であります。しかし、独学によって適切な学習をすることができるのであればこれらの問題の解決に役立つでしょう。

ATOOSは教育機関による教育を否定している訳ではありません。教育機関がその専門性を活かし環境の変化を適切に対応し独学よりもその価値を提供するならばその存在価値はあります

 

独学のデメリット

 

独学のデメリットは時間がかかりやすいということでしょう。何をどのように学んだらいいのか分からないと回り道になりかねません何をについては、個人で自分が学ぶカリキュラムを探しあるいは自身で作成するのは簡単ではありません。どのようにについては、学んだものがきちんと身についているのかをテストして客観的に確認し他人からフィードバックをもらい、モチベーションを維持し続け、差異があれば修正し実践するのは容易ではないのです

しかし、このような独学のデメリットを克服できれば独学の可能性が開けていくのです。また、教育機関の利用についてもそのメリットを教育機関を一時利用することによって独学のデメリットを小さくすることができます

 

なぜ他人から学ばないのか

 

いきなりですが他人から学ぶことは必要です。それは自分だけでは我見に陥りやすいからです。宮本武蔵も五輪の書で「師は針、弟子は糸となって、たえず稽古有るべきことなり」と述べています。しかし、自分が学ぶことに真剣になるにつれて師に対する要求が高くなっていきます。同じく五輪書の中で「兵法の利にまかせて、諸芸・諸能の道となせば、万事において、我に師匠なし」と述べています。特に技術を教えることができる人は多いのですが考え方や心の持ち方を教えられる人は少ない。技のみ覚えても正しい考え方を身に付けなければ逆に危ない。五輪の書では「術とならひ、或いは一道場、或いは二道場などいひて、此の道をおしへ、この道をならひ、利を得んとおもふ事、誰かいふ生兵法大疵のもと、まことなるべし」といいます。学ぶとは道を目指すことです。同じく、「道を広くしれば、物毎に出あふ事也。いずれも人間において、我道々をよくみがく事肝要也」といい、道を師として一人で学ぶことができるのです

 

 

何のために学ぶのかの問い

 

中村文昭氏のケース

 

講演家の中村文昭さんは地方から東京に出てきた際に偶然に出会ったその後に人生を変える師匠との出会いを話しています。その師匠は中村さんに何のために東京に出てきたのかを尋ね、お金を稼ぎに来たと答える中村さんにお金を稼いで何するのかを尋ね続けたそうです。師匠は中村さんに何のために行動するのかを意識させたかったようです。単にお金が欲しいだけでなく何のためにそのお金を稼ぎ何のためにそのお金を使うのかを考えて欲しかったのでしょう。

独学も同じです。人間は目的を忘れて行動をすることが良くあります。何のために独学するのかを明確にすることで、もし独学の途中で困難にあったり、目標が薄らいでしまって辞めてしまったり、モチベーションが下がった時に灯台のように目指す方向を教えてくれることでしょう

 

宮本武蔵の開眼

 

五輪書の地の巻で「六十余度迄勝負するといへども、一度も其利をうしなはず。其程、十三より二十八九迄の事也。われ三十を越て、跡をおもひみるに、兵法至極して勝つにあらず。をのづから道の器用ありて、天理をはなれざる故か、又は、他流の兵法不足なる所にや。其後、猶も深く道理を得んと朝鍛夕錬して見れば、をのづから兵法の道逢事、我五十歳の此也。」とある。十三歳より三十歳近くまで六十以上勝ってきたのは考えてみると兵法が至極していたのではない。もともと器用で天の道理に離れていなかったからか。または、他の流派が兵法に不足があったためだろうか。その後、より深く道理を得ようとして朝な夕なに鍛錬してみれば、自然に兵法の道に逢うことができたとこれまでを振り返っている。

宮本武蔵は、最初はがむしゃらに勝つことばかりを考えてきたが、それでは足りないものがありその道を追求していくのでした。

 

 

 

学ぶ目標は何か

 

学ぶ対象に対して目標を持つことの意義は誰でもが知っていると思います。しかしこれにつまづく人も多いのではないかと思います。独学者のうちに途中で辞めてしまった人の多くは目標を設定しそれを持ち続けることができなかったのです。ではなぜ目標を手放してしまうのでしょうか?その理由は次のように考えられます。

 

  • 目標が明確になっていない
  • 目標がいつでも見れる状態になっていない
  • 先延ばしにしてしまう
  • 目標を下げてしまう
  • 中間目標を設定していない
  • 様々の理由で邪魔が入ってしまう

 

この中の目標が明確になっていいないと中間目標を設定していないに対しての工夫を一つ紹介しましょう。

 

スモールステップを目標設定に生かす

 

スモールステップは、最終目標の間に中間目標を置くことです。中間目標を置くことで最終目標までの道しるべとなり最終目標に近づきやすくなります。簡単な中間目標から少しづつ難易度を上げていくことが最終目標に近づけるポイントです。

 

スモールステップを使って目標を明確にすることもできます。この場合は、自分の思いつく目標を難易度順に並べていきます。例えばテニスの例であれば

 

  • 楽しんでテニスをやりたい
  • 自分の思うところに狙いたい
  • 強くボールを打ちたい
  • ミスをしないようになりたい
  • 練習試合に出たい
  • 練習試合で良い成績を出したい
  • 市民大会に参加したい
  • 市民大会で良い成績を出したい
  • 市民大会でブロック優勝したい

 

このようなステップが思いつきます。このようにステップにすることで自分はどのレベルを目標にするのかをハッキリさせることができます。

目標レベルを明確にする意義は使用する資源を明確にすることができるので目標達成するために何が必要なのかが分かり準備ができるのです

 

 

 

何を学ぶのか

 

ニーズのミスマッチはどうして起きるのか

 

基本的には教育機関は少なくとも教育のエキスパートなのだから適切な教え方が分かっているはずでしょう。しかし、そうとも限らないないケースが多いのです。テニススクールの話に戻りますが、生徒側のニーズは、テニスが上手くなりたい。汗を流してリフレッシュしたい。同じ趣味の仲間を作りたい。というものがあるとします。スクールは営利目的なので生徒が長く少しでも回数を多く通ってもらい用具などを購入してもらうのがニーズです。しかし、テニスが上手くなり求める要求を満たし続けないと生徒は辞めて別のところに移ってしまうかもしれません。このようなニーズのミスマッチは何処にでも良く起こっているのです。

テニススクールが生徒を上達させずに誤魔化しているのではありません。生徒のニーズが曖昧である場合はスクールのニーズが優先されるのです。もし、生徒が明確にテニスが上手くなりたいというニーズを持っているのだとすればスクールは個人レッスンを勧め多くの質問時間を受け付け解決策を提示してくるでしょう。自身がニーズを明確にしてコーチに伝えることが重要なのです。

 

目標を達成するために何が必要なのか

 

独学で学ぶためには学ぶ目標を達成するために何が必要なのかを理解しなくてはいけません。独学者は最初において何が必要なのかの情報を多く持っていないので探索することになります。KJ法を考案した川喜田二郎氏は探索のしかたを心と頭の内部探索と外部が持っている間接情報と外部での体験と出会う直接情報の4つに分類しています。探索のしかたもこの手順で行うのが良いだろうと述べています。

 

知識チャート

 

内部情報と外部情報を整理するための知識チャートで整理する方法があります。

先ず自身がまだ目標がハッキリしていないのならば、そのもやもやとした心のつぶやきを言葉にしてみましょう。付箋に短文で表現してみましょう。例えば、「自宅で楽しめる趣味を見つけたい」と表現しました。これが内部情報の内省です。

次に、その内省をなぜそう考えたのだろうと?客観的に振り返ってみます。そうすると「雨の日は外でスポーツができない」「過去に楽器を試したが途中で辞めてしまった」ということが想起されてきます。これが内部情報の思い出しです。

この思い出しをキーワードにしてインターネット検索してみます。具体的には「自宅」「趣味」「音楽」と検索しました。様々な検索結果の中から興味が湧いたのは「ウクレレ」「簡易サックス」とします。また、YouTubeで体験談、初心者の留意点、楽器の選び方、製品紹介などを通してあらゆる角度から情報収集してみます。外部情報の間接情報の収集です。

そして、楽器店へ出向き試奏してみます。簡易サックスは試奏できず音も大きいため今の住環境では難しいことが分かりました。一方、ウクレレは消音の方法もあり弾き方で音をおさえることができるので、ウクレレに決めて製品を購入しました。これが外部情報の直接情報の収集です。

そして更にウクレレで過去から好きだった100曲を1年で弾けるようにするという追加の目標設定をすることで独学を進めることができるでしょう。

 

付け加えると、過去楽器を辞めてしまった原因にギターにチャレンジしたが指の肉が薄くコードを上手く抑えることができなかったのですがウクレレでは弦が少ないために押さえることができました。以前と異なりインターネットで楽譜がほぼ無料で見ることができ弾き方も様々な人が紹介しているので自分にあった人を選ぶことができました。動画なので繰り返し観ることができ何度も練習ができました。楽器も以前よりも手に入れやすい価格のものも増えたということもメリットです。ウクレレに限らず現在の環境は独学しやすい環境だといえると思います。

 

道に到達する

 

どのような独学でも最初は型があります。世阿弥の風姿花伝の第一年来稽古条々にも七歳より五十歳過ぎまでやるべきことを述べられています。最初は著しい進歩を見せます。しかし、上達は頭打ちとなります。その人の能力によってそのレベルは異なりますが進歩が止まる時が必ずやってきます。この時期に自分のパフォーマンスに違和感を感じたり、不満を抱いたりするものです。場合によっては挫折をする人もいるでしょう。誠実な人はその状態に悶々としながら技だけではなく心を磨くことが必要だと感じることでしょう。それまでは自分の外のものとの戦いだと感じていたことが自分の内なるものとの戦いに気づいていくことができる時期です。気づきを得ると外のものへの不満が解消しすべて内なるものに還元されていきます。そればかりかそれまで自分に関係のない外の世界の些細のことでも、それに関わった人が命懸けで取り組んだ成果であることに気づき、自分のことに置き換えて学ぶことができるようになるのです。

この次元に入っていくと、それまで独学で時折感じていた孤独ということが薄らいできます。孤独に打ち勝つというより一心不乱に工夫を重ね研鑽に励むことに没入することができ、行き詰った時はいにしえの師と心の会話をし、その苦難を乗り越えていくことができるでしょう。この追求こそが道です。

このことをおさえて五輪書の地の巻の「我兵法を学ばんと思う人は、道をおこなふ法あり。第一に、よこしまなき事ををもふ所。第二に、道の鍛錬をする所。第三に、諸芸にさわる所。第四に、諸職の道を知る所。第五に、物毎の損徳をわきまゆる事。第六に、諸事目利きを仕覚ゆる事。第七に、目に見えぬ所をさとってしる事。第八にわづかなる事にも気を付くる事。第九に、役にたたぬ事をせざること。」を読むと宮本武蔵の道の意味も理解できることでしょう。

残念ながら現代においては環境の変化の激しさから従来にあった諸芸諸能の道が少なくなってきましたが道の追求のしかたはなくなりはしないでしょう。

 

道を究めれば

 

これまで独学から道に入ることを述べましたが、道を究めればどのような状態になるのでしょうか。宮本武蔵が五輪書と一緒に弟子に託した自誓書の独行道に次のことを記しています。

  • 世々の道に背くことなし

一、よろず依怙

一、身を楽にたくまず

一、一生の間欲心なし

一、我がことにおいて後悔せず

一、善悪につき他を妬まず

一、何の道にも別を悲しまず

一、自他ともに恨みかこつ心なし

一、恋慕の思いなし

一、物事に数奇好なし

一、居宅に望みなし

一、身一つに美食を好まず

一、古き道具を所持せず

一、わが身にとり物を忌むことなし

一、兵具は格別余の道具たしなまず

一、道に当たって死を厭わず

一、神仏をと尊み神仏を頼まず

一、心常に兵法の道を離れず

武蔵以外に他のものが続くことができない孤独の道です。しかし武蔵にその悲しさは微塵も感じられない。悲しみどころか確信しているからこその誓いです。仏道者のような誓いを述べているのにもかかわらず、神仏を頼まずとあるのは兵法の道を進めば頼ることはない道が神仏のように自分を導いてくれると考えているのかもしれません。武蔵が鏡にしていたのは天道であります。天道とは自然の理であり日本書記によれば人間は天業を成就するために生まれた神の分身です。人は神の分業を託されて、ことここに発起すれば神の前に宣言することがあっても願うことはないのです。願う人がいるとするならば自分の分業を忘れてしまっているのです。

ATOOSでは東洋思想を中心に論語、孫子の兵法、三国志などをATOOSの考えと絡めて紹介してきましたが、宮本武蔵は日本的です。武蔵も死を前に細川藩に伝えて書状の中に兵法の理まとめろとご希望でしたが、書いたもので理解を得るにはどうすればよいかと考え、考えた結果儒教仏教の言葉や古い軍法用いず、ただ二刀一流でまとめることにしましたと記しています。

独学に話を戻しますが、独学こそが自分の分業を見つける入り口であり、自分の分業たる道を見つけ心常にその道を離れないことが到達点です。

 

どのように独学を進めればいいのか

 

周りを見渡せば師はたくさんいる

 

五輪書では「大将は大工の統領として、天下のかねをわきまへ、其国のかねを糺し、其家のかねを知る事、統領の道なり。(中略)大工の統領も武家の統領も同じ事也。」武家のリーダーは大工の棟梁と同じで天下の治める法を理解して、国の治安をただし、家を円満にする法を知る事がリーダーの道です。大工のリーダーも武家のリーダーも同じことです。

リーダーだけでなく「士卒たるもの大工にして、手づから其道具をとぎ、色々のせめ道具をこしらへ、大工の箱に入れて持ち、統領云い付くる所をうけ、(中略)すみずみめんどう迄も手ぎわ能くしたつる所、大工の法なり。」フォロワーは、大工と同じで自らの手で道具を調整して、様々な道具を作り、大工箱に入れて持ち歩き、棟梁の指図に従い隅々まで手際能くすることが、大工の道です。

このように自分と異なる職業人でも共通することが多いのです。

 

いにしえ人を師とする

 

現在身近に師がいなくともいにしえにさかのぼれば必ず師が現れます。独学を志すならば尊敬する古人がいるでしょう。このように直接に教えを受けたわけでないが、著作や伝記などを通じて師と仰ぐことを私淑といいます。私の場合であれば二宮金次郎です。伝記などを通して師の足跡をたどります。伝記に書いているような人物では圧倒されて自分との大きな差に打ちのめされるかもしれません。伝記などは偉大さを強調するあまり創作されているところも多いのです。若い時の師だったら共通点はあるかもしれません。師だったら自分の問題や課題をどう解決するだろうと時には没入して主観的に読み時には客観的に読み参考にするのです。

 

拍子を生む

 

拍子とは一般に拍と拍の連なりのことです。つまりリズムです。独学に必要なのは繰り返しですので、拍子を生むことが重要になってきます。しかし、拍子にも良し悪しがあり適切な拍子を作ってい行かないと無駄な学習や練習をすることになります。正しい拍子とは最終的に道に繋がる拍子です。そこをよくよく吟味しなくてはいけません。

拍子を習慣化することによって独学の進度のペースを植え付けていきます。リズムの習慣化については、ATOOSの別の記事にあります自己鍛錬論によるやり続ける力を参照していただければと思います。

宮本武蔵は五輪の書の地の巻の中で拍子について述べていますが、拍と拍のつながりというより拍自体のタイミングの重要性を強調しています。「いずれの巻にも拍子のこと専ら書記す也。其書付の吟味をして、能々鍛錬有るべき物也。」武士の戦いは入念な準備の後、一瞬の拍子で勝負が決まってします。ですからだからよくよく鍛錬が必要なのです。

 

 

書籍によるインプット

 

本の読み方は様々なものがありますが、普段の黙読だけではなく音読も雑念が取り払うことができることがあります。黙読だと雑念が出てきて違うことが思い付き読むのを辞めてしまったり中断したりすることがありますが音読だと声に出すことに集中でき雑念が少なくなります。師と対話しながら読む問読も効果的です。時間を決めて読む決読だと集中しやすくなります。他の本と同時に読む並読だと読書量を上げたりスピードアップすることがあります。速読、遅読だけでなく様々な読み方を知っておけば自分に合ったインプットができます。

 

動画によるインプット

 

最近では動画によるインプットも効果的です。YouTubeなど動画サービスには様々なコンテンツがあり独学に活用することができます。先ほど例に出したウクレレをYouTubeで検索してみると国内外から多くのコンテンツがアップロードされています。YouTubeですと外国のコンテンツが自動翻訳ができるので洋楽や国内にはない質の高いコンテンツを独学することができます。楽譜をダウンロードや写譜ができたりするので非常に参考になります。

テニスでも様々なプロやコーチが動画をアップしていますのでリアルにスクールに通う直接さはありませんが、逆に直接会うことができないコーチに教わることができます。以前はDVDを購入させるための動画が主でしたが、現在では広告収入などを得ることができるので観る側は基本的には無料で視聴することができます。もちろん、さらに学びたければ直接にコーチングしてもらえばよいのです。

 

動画インプットとの種類

 

ATOOSが考える動画視聴の種類を紹介しましょう。キーワードは造語です。

素視:そのまま動画を観る。

読視:テロップや翻訳を読みながら観る。

音視:音だけを聴く。

比視:同じテーマの動画と比較しながら観る。

追視:ブログ、書籍、DVD、CDなどの情報を追加しながら観る。

問視:コメント欄に質問しながら観る。

間視:理解が遅れたり見逃したりしたときは間を止めながら観る。

休視:分からないことが出てきたときはインターネットや他の情報源で調べて、間を空けながら観る。

転視:動画、テキスト、目も、音声など横断しながら観る。

集視:25分以内で区切り集中して観る。

 

こちらも書籍によるインプットと同様に自分にあったインプットを選択すればよいのです。

 

インプットを効果的にするためにアウトプットする

 

書籍を読むだけでなく読んだ内容をアウトプットすることでインプットを効果的にすることができます。インプットしただけでは忘却曲線に取り込まれ記憶が薄らいだり、分かったつもりがアウトプットして観ると分かっていないことが気づけます。ブログなどに公開することで周りから見られることの緊張感が得られ独学に良い刺激が生まれます。また書籍の内容をマインドマップで整理しておくと書籍のサマリーとなり内容を簡単に思い出すことができます。

 

動画によるアウトプット

 

動画は観るだけのものではありません。自らを映しそれを自らが見てできているかいないを客観的に観察するためのツールにすることができます。

 

録視(録画して観る)の種類

 

流視:全体を俯瞰するために流して観る。

止視:注目するところを止めて観る。

巨視:さらに細かい部分をズームアップして観る。

駒視:注目するところの流れを駒送りして観る。

 

インプットとアウトプットを同時に行う

 

オンライン英会話

 

英語学習ならばインプットとアウトプットを同時に行えるオンライン英会話が効果的です。外国人講師と直接話すことができ、比較的安価な投資で学ぶことができます。厳密には独学とは異なりますが従来型の直接にあって教えてもらうのとは異なるので紹介の中に入れます。

 

公の場所に出る

 

英語以外でインプットとアウトプットを同時に行うのは、テニスなら試合、ウクレレなら路上パフォーマンスや動画公開となるでしょう。アウトプットだけに見えますが、アウトプットした反応をダイレクトに受けることで更にインプットにつなげます。テニスで試合に出るのは自分が独学で学んだスキルを試すことができます。様々なレベルや違う人とプレイすることでどんな状況でアウトプットでできるのかを知ることができます。独学だけでは我見に陥りやすくなります。自分より低いスキルの人を選んでプレイすると勝つことの満足感は得られますがスキルの向上は少なくなります。路上パフォーマンスも上手かったら足を止めて聞いてくれるかもしれませんし、そうでなければ反応は少ないでしょう。動画公開も上手ければ視聴回数が上がり登録してくれますが、そうでなければ視聴回数は上がりません。

 

フィードバックを受ける

 

フィードバックとは、一般的には他人から意見を受けることを指します。独学で学ぶ者にとって他人の意見は貴重な情報です。しかし、他人はあなたの独学に関心があるとは限りません。また、意見を言うような知識を持っていない状況もあるでしょう。そのような場合は、意見以外の反応や自分が他と比べてその損得を自身の独学にフィードバックすることで参考にすることもできるのです。

 

他学の学び方を知る

 

独学で気をつけなければいけないのは我見に陥ることです。我見に陥るとオリジナルにこだわり過ぎてすぐ近くに適切なものがあっても利用しない。オリジナルが最良のものだと偏った見方をしてしまうなど問題が生じます。もちろん、自分のスタイルを作るために敢えてオリジナルを作ることは問題ではありません。

我見に陥らないためには他学を知ることです。「自分のやり方ではこうだが、他のやり方はこうだ。何故なら・・・」あるいは、「他のやり方はこうだが、自分のやり方はこうする。何故なら・・・」というようにきちんとその違いや損得、意味や理由を理解していることが重要です。

五輪書の風の巻では「他流の道を知らずしては、我一流の道たしかにわきまえがたし。」他の兵法の損得を知らないで、武蔵の独自の兵法を良いものだというのは難しい。

他学は利益を強調し見栄えだけよく見せてはいるが本質的な学びに繋がるものか。独学も同様なことに陥ってはいないかをよくよく吟味しなければなりません。同じく、「他の流流、芸にわたって、身すぎの為にして、色をかざり花をさかせ、うり物にこしらへたるによって、実の道にあらざる事か。」と述べています。

また、今学んでいることは枝葉末節の技術にこだわって大切な道に繋がっているかを確かめるべきです。同じく、「剣術ばかりにちいさく見たてて、太刀の振習ひ、身をきかせて、手のかかる所を以て、かつ事をわきまえたるものか。いずれもたしかなる道にあらず。」とあります。他の兵法は剣術のみで視野が狭く、太刀を振り習い、身体に覚えさせ、手をかけて勝利すると教えているがそれで勝てるのか。このように他を批判的に観ることを良しとしない人もいることでしょう。しかしながら、地の巻にあるように諸芸諸職を知り目利きによってその損得を目に見えないところまでわずかなる事に気を付くれば役にたたないことが分かりよこしまなき事明々白々となるのです。それを述べず書き記さないことがよこしまなのです。

 

水のように学ぶ

 

独学を行う上でメンタルコントロールが重要であることはいうまでもありません。ではどのようにすればよいのでしょうか。

五輪書の水の巻の兵法心持の事に、「兵法の道において、心の持ちやうは、常の心に替わる事なかれ。常にも、兵法の時にも少しもかわらずして、心を広く直にして、きつくひつぱらず、すこしもたるまず、心のかたよらぬやうに、心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、其ゆるぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし。

兵法を独学に変えて読んでみます。ここでいう心とは意識と置き換えると分かりやすくなるかもしれません。意識を広くまっ直ぐにして緊張したり緩和したりせずに意識が傾いたりしないようにします。意識を静かに揺るがせて。意識を広くまっ直ぐにということと意識を揺るがせてということはどういうことでしょうか。私は先に出てくる広くまっ直ぐな意識は容器のようなもので、揺るがせる意識は容器の水と考えるとしっくりきました。そう考えれば揺るがせるというのは大きくゆったりと揺るがせて揺るぎの間の中でも揺るぎを止めることのないよう。大きな容器の中で水を絶えず動かそうとしていても一瞬止まるような状況を作ってはならないということが分かります。しかし、容器は止まっており水は揺らいでいるというのは少し不自然さが残ります。容器の中心が揺らいでも容器の近くはどうしても流れが止まります。とするならば容器も揺らぐようにしなければならないことが分かります。ここで容器とは身体の事ではないかと気づきます。そうすれば身体も心も揺るがし止まることのない意識というところにたどり着きます。独学の際に長時間身体を止めればやがて心が止まり脳も止まるということになるので、足や腰や背骨などを固まらせないことが必要になってきます。心と体と頭を分けると意識を水のような状態を作ることによって脳が集中できる状態を作ることができる。それが独学のパフォーマンスを上げることができます。

 

結びとして

 

今回は、独学をテーマに宮本武蔵の五輪書やATOOSの考え方を紹介してきました。宮本武蔵の五輪書は常人が読むと意図を理解できずに誤った読み方をしてしまいがちで、幅広く解説書を参考にしながら自分の独学に参考にすることが必要でしょう。そうしながら、宮本武蔵から私たちは多くの気づきを得ることができるのも事実です。例えば、非常に細かく身体や心の状態を観ることができる鑑識力。なぜそれが必要なのかを追求し続ける探求心。当たり前と思われていることを疑い真実を求めるの懐疑心。我見に落ち入らず広く他学を参考にして独学を高めていく合理的精神。孤独な独学を耐え抜く忍耐力。常に道から逸れず朝鍛夕錬できる求道心。これらが私たちの独学の灯台の光となって導いてくれるでしょう。