論語マネジメント論による人の管理

礼楽

マネジメントにおける人の管理とは人間の関係の円滑化です。論語全体が関係の円滑化に多くの言葉を割いています。孔子は礼楽の重要性を説きます。礼楽は「礼儀と音楽」というものではなく。秩序、制度、文化の意味が含まれます。
音楽は人の心を和する性質を持つことから古来から現代にいたるまで様々な場面で活用されています。入学式、卒業式、入社式、開会式などのセレモニーで歌や音楽を流すのは礼という節目に音楽を奏で歌い人の心を和しているのです。
音楽が行事と密接になることから制度となり、文化となってきたのだと思います。今では音楽はより個人的なものになっていますが、人間の持つ性質が変わらない限り今後も礼楽は形を変え残っていくでしょう。
しかし、礼楽はあまり制度的になってもいけません。気持ちが大事なのであり飾りはその次です。わが身を謹んで礼に帰ることが仁に近づきます。

礼記
「礼は民心を節し、楽は民心を和す

礼は人の心に節度を与え区切りをつけるものであり、音楽は喜怒哀楽の情を和らげて、人の心を調和していくものである。」

「楽は内にはたらくものなり、礼は外にはたらくものなりはたらくものなり」

先進十一1
先生が言われた、「先輩は儀礼や雅楽については田舎者である。後輩は儀礼や雅楽については君子である。だが、もしそれを行うことになれば、私は先輩の方に従おう。[質朴な先輩の方が、かえって礼楽の本質を得ているから。]」

“礼楽は、その本源は人心の忠信にあり。文飾は従たるに過ぎず。しかるに徒らに形式に走って本を失しているから、もし吾をして礼楽を用いる地位に立たしめんか、吾はむしろ質に勝ちて野人に似たる先進の礼楽を用いて文飾の過ぎたる後進の礼楽すなわちいわゆる君子の礼楽を取らざるべしと仰せられしなり。
大正の今日は法律制度整然として完備せり。これを明治の初年と比すれば、天地月べつの相違がある。すなわちこの章にいわゆる野人と君子との差あるに似たり。明治初年はすべての文物精度が不規律不体裁であったが、人の精神がしっかりしておって  貢献的に遂行したから、維新の鴻業も成就したのである。これに反して今日は形式の分飾は整然として備わってきたが、精神的方面が銷耗して、虫の脱け殻のような感なきにならず。君子的よりも野人的が優れりといわれたる孔子の言、深く味わうべきであるまいか。”

礼の働き学而第一12
有子がいわれた、「礼のはたらきとしては調和が貴いのである。むかしの聖王の道もそれでこそ立派であった。[しかし]小事も大事もそれ[調和]に依りながらうまくいかないこともある。調和を知って調和をしていても、礼でそこに折り目をつけるのでなければ、やはりうまくいかないものだ」

″礼と和とは偏廃すべからず、必ずあい兼用すべしというなり。礼は尊卑長幼の分限により、人間庶般の法則儀式を定めたるものにて厳正に規定しあれば、その応用の際に人情の融合を旨とする和を加味するを貴しとなす。″

克己復礼顔淵十二1
顔淵が仁のことをお訊ねした。先生は言われた、「我が身を慎んで礼[の規範]に立ち戻るのが仁と言うことだ。一日でも身を慎んで礼に立ち戻れば、世界中が仁になつくようになる。仁を行うのは自分次第だ。どうして人頼みできようか。」顔淵が「どうかその要点をお聞かせ下さい。」と言ったので、先生は言われた、「礼に外れたことは見ず、礼に外れたことは聞かず、礼に外れたことは言わず、礼に外れたことはしないことだ。」顔淵は言った、「回は愚かではございますが、このお言葉を実行させて頂きましょう。」

“顔淵は孔子の門弟三千人中の高足七十二人中の最高足なり。年は孔子より三十七歳若かったが、徳行家であって、衆賢の上におかれ孔子につぐと称せられ。
顔淵一日その師孔子に対して「如何なるかこれ仁」と問うた。すると孔子は曰く「よく己の嗜欲に打ち勝ち、事ごとに礼を履みて行う。これを仁という」と。それ仁は、その範囲広大なり。これを大にして天下国家を治める道となり、これを少にしては一家をととのえ一身を処する道となる。
人に対してやさしさ指示をなすのも、仁の一端なり。不幸不仕合せの人に同情を要するのはなおされのことなり。上を敬い下を愛しむ固より仁なり。博く施して衆を救う。これ仁の大なるものなり。喜・怒・哀・楽・愛・憎・欲の七情の発動によって、理智が暗ませらるるのである。
七情の発動がよく理智に適うのが仁である。”

人を知る

関係の円滑化を行うためには人というものを知らなければなりません。人を知るとは人の性質を知りその性質がどのような言動を発するのかを知っておくことで、それに対して正しく接することができるのです。
一般的には人は表面的なことに囚われます。事件のインタビューなどで犯人の普段の様子を聞かれた際に「挨拶をして悪い人に見えなかった」「にこやかで良い人だと思っていた」などのことをよく聞きますが、表面的なことだけを見ていると人を知ることはできません。巧みな言葉と表面的な笑顔は仁が少ないと思ったほうが良い。人のふるまいを観て、少し観察を続けてみる、仕舞まで見てみるとどんな人でもその本質を隠すことはできません。
また、過ちの起こし方もその人物によって異なります。仁者の誤りは人情に厚いが故の過ちを起こしやすく不仁者の過ちは冷酷になりやすくなります。口は重いが行動は早いというのが良い行いです。

巧言令色鮮し仁学而第一
先生がいわれた、「ことば上手の顔よしでは、ほとんど無いものだよ、人の徳は。」

“仁の一字は孔夫子の生命で、また論語二十篇の血液である。かの愛、恕、信、毅というも結局、仁の変化と見るべし。本章は、外飾の人は仁者少きをいう。方今世上の青年を見るに、外面の体貌は至極立派なれども内面の心理状態は全く空洞のように見受けられる。”

人のふるまい爲政第二10
先生がいわれた、「その人のふるまいを見、その人の経歴を観察し、その人の落ちつきどころを調べたなら、[その人柄は]どんな人でも隠せない。どんな人でも隠せない」

“人物観察法は、視・観・察の三つを以って、人を鑑別せぬばならぬ。まず、第一にその人の外面に顕われたる行為の善悪正邪を視、第二にその人の行為は何を動機にしているものなるやを篤と観極め、第三にさらに一歩を進めてその人の安心は何れにあるや、その人は何辺に満足して暮らしているやを察知すれば、必ずその人の真正の性質が明瞭になるもので、いかにその人が隠しても、隠し得られるものではない。″

人物の種類里仁四7
先生がいわれた、「人の過ちというものは、それぞれの人物の種類に応じておかす。過ちの内容を観れば仁かどうかが分かる」

″それ人のこの世に処する、過失をなさずにすめば、この上もなきことなれども、絶対に過失をせぬということは、聖賢といえどもよくせざる所ならん。されば人に過失ありとも直ちに棄つべからず。しかしてもその過失を生ずる場合にも、とかくその人の性癖がその過失の上に顕われてでてくるものである。ゆえにその過失が仁に流るるより来たったものなる時は、その人は仁厚の性行なるを知り得べく。もしの過失が忍に流るるより来たったものなる時は、その人は残酷の性行なるを知り得る。すなわち仁者は常に人に親切なるよりして過失を致し、不仁者は常に軽薄のために過失を致すものである。その過失の由来する所を察すれば、その人の仁者なるか不仁者なるかを判断することを得べし。″

言訥にして里仁四24
先生がいわれた、「君子は、口を重くしていて実践には敏捷でありたいと、望む。」

“君子は弁論をこれこととする口舌の勇者とならず、口でいうよりもまず身で行うことを念とす。自ら実行し得ぬことをベラベラ喋り立てた処で、ぞの弁説には何の権威もないではないか。弁論の権威はこれを身に体して実行することによって初めて生ずべし。言論に権威がなくなってしまえば、懸河の弁を揮うて、千万言を費やしても、世道に何も裨益もあらざるべし。”

四態

ATOOSの提供技術に四態という性格診断があります。人を知り自分を知ることでより適切な対応ができますので。参考にしてみてください。

部下の特徴をつかみ生かす

マネジメントにおいて重要な要素として部下の特徴を理解しておくこと、そしてその特徴を目標達成と個人の成長のために生かすことが重要でしょう。
孔子は論語の様々なところで弟子たちの特徴について語ってます。何に向いているのか、何が優れていて何が劣っているのか。どういう点に注意すべきなのかが子細に語られております。
修養において求めるところは同じであっても個人の性格などの違いから一様にはなりません。その過ぎたるを知り、足らざるを知ることが重要なのです。
孔子は14年間の長旅の後に弟子の指導育成に力を入れていきます。その育成に応え実力をつけた弟子たちは様々な国の官僚として旅立っていきました。

公冶長五9
先生が子貢に向かっていわれた、「お前と回とは、どちらが勝れているか。」お答えして「賜(し)[この私]などは、どうして回を望めましょう。回は一を聞いてそれで十をさとりますが、賜などは一を聞いてそれで二が分かるだけです。」先生はいわれた、「及ばないね、私もお前と一緒で及ばないよ」

雍也六8
季康子が訊ねた、「仲由(=子路)は政治をとらせることができますかな。」先生はいわれた、「由は果断です。政治をとるくらい何でもありません。」「賜(=子貢)は政治をとらせることができますかな」「賜はものごとに明るい。政治をとるくらい何でもありません」「求(=冉求)は政治をとらせることができますかな。」「求は才能が豊かです。政治をとるぐらい何でもありません」

“孔門の中でも、伯牛は顔淵に次ぎ徳行いが高かった人である。その疾は、悪疾であった。伯牛は師にお目にかかるを憚り、室内に招じ入れざりけん。しかるに孔子なお窓より手を差し入れて伯牛の手を取り。「この人にしてこの疾あり。この人にしてこの疾あり」と、同じ言葉を二度まで重ねて繰り返したるをみれば、孔子がいかに人情篤く、門人を愛する情の深かりしかを知り得らるるなり。二千四百年後の今日に至るまでなお支那はもちろん日本の人に尊敬せられ、近頃は欧米の人々にも畏敬せられる所以の原因は、全くかく人情に厚かった所にある。才や力ばかりでは、とても永く人を心服さしてゆくことはできぬ。”

先進十一3
徳行では顔淵と閔子騫と冉伯牛と仲弓。言語では宰我と子貢。政事では冉有と季路。文学では子游と子夏。

先進十一13
閔子騫はお側にいて慎み深く、子路は誇らしげで、冉有と子貢は和やかであった。先生は[優等な門人に囲まれて]楽しまれた。ただ、「由のような男は、普通の死に方はできまい。」と言われた。

先進十一16
子貢が「師[子張]と商[子夏]とはどちらが勝れていますか。」と訊ねた。先生は「師は行き過ぎている、商は行き足りない。」と言われた。「それでは師が勝っているのですか」と言うと、先生は「行き過ぎるのは、行き足りないのと同じようなものだ。」と言われた。

“子張は孔子より少きこと四十八歳。子夏は孔子より少きこと四十四歳なり。両人少壮、異常の才穎、おのおの長ずる所あり。しかして駸々日進、他日の成る所、未だに以って測量すべからざるものあり。孔子に対してこの両人はどちらが賢なるかを問うた。孔子は「子張は過ぎている。子夏は及ばぬ処がある」と答う。これ両人の才性あい反する点を語られたるのみにて、あえてこれを優勢せざるなり。さらに問うて曰く「しからば子張は子夏よりも勝れておりますか」と。孔子はまた対えて曰く「否々。人は中庸を得るが最も大切である。過ぎたるも中庸にあらず、及ばざるも中庸にあらず。されば過ぎたるも中庸を得ざることにおいてなお及ばざるに等しい」と答え、ついに優劣の批判をなさざりき。この人は凄腕家であると思うと中庸を失って過ぎており、あの人は人物がどっしりしていると思うと、動きの及ばぬ所があり、中庸を得た人ははなはだ少ない。しかれども人として世を渡りその身を全うするには、中庸を保つということが大切である。”

先進十一18
[先生が言われた]「柴は愚かで、參(曾子)は鈍く、師「子張」はうわべ飾りで、由[子路]はがさつだ」

徳孤ならず里仁四25
先生がいわれた、「道徳は孤立しない。きっと親しい仲間ができる」

“人は天性において美徳を好むものとす。ゆえにその身に徳ある人は、決して他よりは排斥せられて孤立無援となることなし。同志同道の人自ら追従して、あたかも隣家あるがごとく、あい助けあい成すなり。”

以上、渋沢栄一氏の論語講義の解釈は「″ ″」で括っています。