論語マネジメント論による仕事の管理

論語マネジメント論による仕事の管理を説明したいと思います。孔子とその弟子による論語をもとに4つ要素から、まずは仕事の管理について説明します。
論語の解説はあまりにも任が重いので渋沢栄一氏の論語講義の解説を随所に付記させていただきます。
渋沢氏は令和6年より一万円紙幣の顔となり二宮金次郎氏と同じく農民から武士となり、さらに明治政府の官僚となります。退官後は数多くの団体企業の設立に携わり、日本資本主義の父ともいわれています。
渋沢栄一氏の解説は「″″」で括っておきました。

指導者の要件

マネジメントを行う立場となったならどのような態度をとることによって周りが認めるのでしょうか。穏やかで、すなおで、うやうやしく、つつましく、へりくだった人には誰でも教えを請うことでしょう。
五つの立派なことと四つの悪いことを実行できるリーダーが求められます。立派なことは、社員に利益をきちんと配分するけれども、会社の経費は浪費しない。社員や部下を働かせるが生き生きと喜んで働き不満が出ない。前向きな欲求は持っているが、むさぼるようなことはしない。ゆったりしていても、興奮したりしない。威厳があるけれども、激しくはないので近づきやすい。
一方、悪いこととは、してはいけないことを教えもせずに、いきなり罰する。任せるから適当にやっておいてと言いながら、細かいところにケチをつける。何時でもいいからやっといてと言いながら、急に今日中に完成させろと急ぐ。会社から出たチームへの報償を部下に分けることを出し惜しみする。現在でも全く通用する考え方です。

温良恭倹譲学而一10
子禽が子貢にたずねていった、「うちの先生(孔子)はどこの国にいかれても、きっとそこの政治の相談を受けられる。それをお求めになったのでしょうか、それとも[向こうから]持ちかけられたのでしょうか。」子貢は答えた、「うちの先生は、温(おだやか)で良(すなお)で恭々(うやうや)しくて倹(つつま)しくて譲(へりくだり)であられるから、それでそういうことに[どこの国でも政治の相談をうけられることに]なるのだ。先生の求めかたといえば、そう、他人のもとめかたとは違うらしいね[無理をしてことさらに求めるのとは違う。]」

尭曰二十4
子張が孔子にお訊ねして言った、「どのようにすれば政治にたずさわれましょうか。」先生は言われた、「五つの立派なことを尊んで四つの悪いことを退けてたら、政治にたずさわることが出来よう。」子張が「五つの立派なこととは何々ですか。」と言うと、先生は言われた、「上に立つ者が、恵んでも費用をかけず、骨を折っても怨みとせず、求めても貪らず、ゆったりしていても高ぶらず、威厳があっても烈しくない。[この五つを言うのだ。]」子張が「恵んでも費用をかけないとはどういうことですか」と言うと、先生は言われた、「人民が利益としていることをそのままにして利益を得させる、これこそ恵んでも費用をかけないことではなかろうか。自分で骨折るべきことを選んでそれに骨を折るのだから、一体誰を怨むことがあろう。仁を求めて仁を得るのだから、一体何を貪ぼることがあろう。上に立つ者が[相手の]大勢小勢や貴賎にかかわりなく決して侮らない、これこそゆったりとしていても高ぶらないことではなかろうか。上に立つ者がその服や冠を整え、その目の付け方重々しくして、いかにも厳かにしていると、人々はうち眺めて恐れ入る、これこそ威厳があっても烈しくないことではなかろうか。」子張が言った、「四つの悪いこととは何々ですか。」先生は言われた、「教えもしないでいて殺すのを虐(むご)いといい、注意も与えないで成績を調べるのを乱暴といい、命令を緩くしていて期限までに追い込むのを賊害といい、どうせ人に与えるというのに、出し入れのけちけちしているのを役人根性という。[この四つを言うのだ。]」

“子張さらに五美を問う。子曰く「恩恵を民に施すも、己の私財を費ず。民を使役すれども、民喜んで事に趣き、毫も上に怨みず。君子は欲するる所あるも、あえて貪らず。舒泰自得するも、あえて驕り高ぶらず。態度威重あるも、猛烈近づくべからざるがごとくならず」と。
子張また問う「四悪というや」と。子曰く「教えずして殺す、これを虐と謂う。戒めずして成るを視る、これを暴と謂う。令を慢くして期を致す、これを賊と謂う。猶しく人に与うるに出内の吝かなる、これを有司と謂う」と。政治家となりて、五美を遵奉し、四悪をへい去して、遺算なければ、その能事終る。必ず国治まり民安ならん。”

五常のマネジメント

義を大切にする組織を作る

義は組織の目的目標です。より大きな目的は経営理念となり大義となります。しかし、企業の大義と個人の義がかけ離れていたらどうでしょうか?関心をもって経営理念に共感できません。
経営理念だけではなく現在の企業は様々な義を持っています。ミッション、戦略、方針などが含まれます。それらの乱発や関連性のなさも共感性が落ちる原因です。
内容を吟味しできるだけ絞り込み、そして義の内容がなってに変化したり、歪められないように問答して確認しあう風土づくりも大切です。
孔子と弟子たちが行っていたのは問答が中心です。その問答の中で共有化していったのです。義は道でもありますから本当に見つかるのであれば身命を賭してもよいと思うのです。

里仁四8
先生がいわれた、「朝[正しい真実の]道がきけたら、その晩に死んでもよろしいね」

陽貨十七23
子路が言った、「君子は勇を貴びますか。」先生は言われた、「君子は正義を第一にする。上に立つ者が勇敢であっても正義が無いなら乱を起こすし、下々の者が勇敢であっても正義が無いなら盗みを働く。」

“子路、天性勇を好む。ゆえに孔子の門に入り初対面のとき、直ちに問うて曰く「君子も勇を尚びこれを上とすることあるか」と。子答えて曰く「君子は勇より義を以て上となるなり」と。孔子の意は、「勇を裁するに義を以てし、義においてなすべければ、あえてこれをなし、水火を辞せず。されど勇のみありて義なければ、在上の君子ならば、権力を恃みて乱逆をなし。在下の小人ならば、慾をほしいままにして盗窃をなすに至らん。」”

衛靈公十五17
先生が言われた、「一日中大勢で集まっていて、話しが道義のことには及ばず、好んで猿知恵を働かせると言うのでは困ったものだね。」

“朋友と群集会合するは、互いに益あることなり。しかるに群朋あひ集合して、一日を終竟し、いふ所義事に及ばず。但し好んで少々の才知を行ひ、以て人に陵誇するがごときは、成す所あること、難しいかな、終りに成功せざるべし。”

礼をもって人と接する

礼を重んじることによって人との関係が良好になり、調和し、秩序を保たれていく。孔子は礼を重視した。それは孔子が生きていた時代に夜が乱れていたからかもしれない。逆心が君主を襲いその座を奪い、別の国では臣下が妻を交換し合い、自国では君主しかできない儀式を臣下が君主の許しも得ずに行う。そういったことなどを孔子が憂いたのであろう。昔から日本も礼儀を大切にしようとする文化があります。五常の他に忠、孝、悌、貞という言葉が儒教で出てきますが、論語では忠は君主への忠誠よりも誠実に近く、孝(親孝行)や悌(年長者に従う)は何度も出てきますが、や貞(妻が夫に従う)はほとんど出てきません。後からの付け足しです。孝悌は斉家の基本です。しかし、上の者がいばるのではなく慎みあうのです。それは斉家の前に修身があるからです。

雍也六27
先生がいわれた、「君子はひろく書物を読んで、それを礼の実践でひきしめていくなら、道にそむかないでおれるだろうね」

“博聞よりも実践の重んずべき。行い得ざることには決して耳を傾くるなという意味でなはい。たとえ行い得ざるまでも善言は聴くがよいことは論なし。世間には喜んで他人の言を聞く人と、一途に自分ばかりしゃべって他人に聴かせる人と二様ある。  大隈候のごときは、人の言を聴くよりも、人に自己の言を聴かせる方であった。
せっかく大隈候に何か申し上げんとして、候を訪問した人でも、たいていは申し上ぐる機会を得ずに申し聞かされて帰り来るのが多し。しかも候は他人がチョイチョイ申したことを、案外よく記憶しておらるるのには感服致したのであります。西郷候は何れも言葉数の少なかった人である。よく他人の言を聴いておられながら、ヒョイとその言葉を捉えて「よか頼む」といったような工合で、?々大笑せられたるなどして物に囚われてしまわず万事を手軽く取り扱われた。不言実行家の一人であった。”

述而七17
先生が標準語を守られるのは、詩経、書経[を読むとき]と礼を行うときとで、みな標準語であった。

孔子の礼と聞けば孔子は堅苦しい人だったと想像するが、孔子の普段の言葉遣いはざっくばらんだった。
管理者注

智は単なる知識であってはならない

智があれば惑うことはない。自信をもって事に当たることができます。論語マネジメント論で紹介した二宮金次郎の五常講後も他の仁義礼信を実現するための知恵でした。しかし、それであっても孔子にとって知識は準備にしか過ぎない。より大切なのは行動なのです。その知識を行動しないで話すことは恥なのです。このことを知っている弟子の子路はいまだできないことの先を絶対に聞かなかった。
ましてや、行いもせずに知を振りかざしているだけの者は絶対に認めないという態度であった。

爲政二13
子貢が君子のことをおたずねした。先生はいわれた、「まずその言おうとすることを実行してから、あとでものをいうことだ。」

公冶長五14
子路は、何かを聞いてそれを未だ行えないうちは、さらに何かを聞くことをひたすら恐れた。

“博聞よりも実践の重んずべき。行い得ざることには決して耳を傾くるなという意味でなはい。たとえ行い得ざるまでも善言は聴くがよいことは論なし。世間には喜んで他人の言を聞く人と、一途に自分ばかりしゃべって他人に聴かせる人と二様ある。  大隈候のごときは、人の言を聴くよりも、人に自己の言を聴かせる方であった。せっかく大隈候に何か申し上げんとして、候を訪問した人でも、たいていは申し上ぐる機会を得ずに申し聞かされて帰り来るのが多し。しかも候は他人がチョイチョイ申したことを、案外よく記憶しておらるるのには感服致したのであります。西郷候は何れも言葉数の少なかった人である。よく他人の言を聴いておられながら、ヒョイとその言葉を捉えて「よか頼む」といったような工合で、?々大笑せられたるなどして物に囚われてしまわず万事を手軽く取り扱われた。不言実行家の一人であった。”

子罕九30
先生が言われた、「智の人は惑わない、仁の人は憂えない、勇の人は恐れない」

“この章は知・仁・勇の三徳を説いたものである。知恵があればすべて事物の道理が分かり、その是非邪正を判断することができるか、事に処して疑い惑うようなことがない。仁者は天命を知り、一点の私心がなく、己の分を尽くし、人たるの道を行うのであるから、いささかの煩悶もなく、すべての物事に対して憂いというものがない。勇者はその心、至大至剛にして、つねに道義に適い、虚心平気であるから、何事に遭遇しても懼るることがない。この三徳が備わっておったならば、人間として極めて完全な人ということができる。吾人は、この域に達することはできないまでも、どうかしてこの三徳を備えるように、努力せなければ止まざるの精神を持ちたいものである。およそ人間というものは、知や勇ばかりではいかぬ。知恵のある人勇気のある人もとより貴ぶべきではあるが、知勇は性格上の一部分であって、これを完全な人ということはできない。仁をあい兼ね備えて始めて人間として価値が生ずるのである。”

憲問十四29
先生が言われた、「君子は、自分の言葉が実践よりも以上になることを恥とする」

“君子は言行一致を貴ぶ。その行ひその言に伴はざるは、君子の恥づる所なり。言ふは易しくて行ふは難し。言ふことは三歳の童子もこれをいふ。行ふことは百歳の老翁もこれまた難ず。”

憲問十四30
先生が言われた、「君子の道というものが三つあるが、私には出来ない。仁の人は心配しない、智の人は惑わない、勇の人は恐れない。」子貢が言った、「うちの先生は自分のことを言われたのだ。[出来ないと言われたのはご謙遜だ。]」

“仁者は憂へず、知者は惑はず、勇者は懼れず。この三成徳、一つもよくするなきをいふなり。毎度申すごとく謙遜は人の美徳なり。能ある鷹は爪を隠す。人は謙遜すればするほどその人の才徳ますます彰著になるものなり。”

憲問十四32
先生が言われた、「人が自分を知ってくれないことを気にかけないで、自分に才能がないことを気にかけることだ。」

“人の己を知らざることを患へず。己よくすることなき患うるなり。今の人は売名を好むが多し。実力以上に沽らんと欲し、自己宣伝をなす輩、年一年より増加す。”

微子十八6
[隠者の]長沮と桀溺とが並んで耕していた。孔子がそこを通られて、子路に渡し場を訊ねさせられた。長沮は「あの馬車の手綱を持っているのは誰です。」と言うので、子路は「孔丘です。」と言うと、「それじゃ魯の孔丘かね。」「はい。」と答えると、「それなら渡し場は知っているだろう。[あちこち巡り歩いて道を知っているはずだ。]」と言った。そこで桀溺に訊ねると、桀溺は「あなたは誰です。」と言うので、「仲由です。」と言うと、「それじゃ孔丘の弟子かね。」「そうです。」と答えると、「どんどん流れて行くもの、[せきとめられないものは、この河だけじゃない、]世界中が全てそうだ。一体誰と一緒にこの乱世を改めるんだ。まあ、お前さんも[立派な諸侯を探すためにあれも駄目、これも駄目と]人間を棄てる人につくよりはね、いっそ世間を棄てる人についた方がましじゃないかな。」と言って、種の土かけをして止めなかった。子路がそのことを申し上げると、先生はがっかりして言われた、「鳥や獣とは一緒に暮らすわけにはいかない。私はこの人間の仲間と一緒に居るのでなくて、誰と一緒に居ろうぞ。世界中に道が行なわれているなら、丘も何も改めようとはしないのだ。」

正しき信とは

約束を守り、真心を尽くすことは高い徳目に違いはない。約束する時に道理にかなうようにしておけば、後に後悔することはない。礼に逸れていないかを考えて約束すれば、後に恥ずかしい思いをすることはない。まず初めに終わり方を考えておくことが必要です。できうれば、ギブアンドテイクではなくテイクアンドテイクが望ましい。至誠は見返りを要求しない。当然ビジネスは見返りを要求するものですが、こちらから提供するものが少なければ少ないほど先細りになってしまいます。
信用を作ってから頼めたり時にはぶつかったりしても許し合えます。信用のない状態でぶつかったりすると不満を持ちます。日々そのことができていたかを振り返るようにしましょう。

学而一4
曾子がいわれた、「私は毎日何度も我が身について反省する。人の為に考えてあげて真心からできなかったのではないか。友達と交際して誠実でなかったのではないか。よくおさらいもしないことを[受け売りで]人に教えたのではないかと。」

学而一13
有子がいわれた、「信[約束を守ること]は、正義に近ければ、ことば通り履行できる。うやうやしさは、礼に近ければ、恥ずかしめから遠ざかれる。たよるには、その親しむべき人を取り違えなければ、[その人を]中心としてゆける」

“人と約束せんとするには、まずその約束せんとすることを義理に近きや否やを考えるべし。不義の事や不道理の事を約束するも、後日決してこれを履行すること能わず。食言不信の人となるべし。”

陽貨十七8
先生が言われた、「由よ、お前は六つの言葉にについての六つの害を聞いたことがあるか。」お答えして「未だありません。」と言うと、「お坐り、私がお前に話してあげよう。仁を好んでも学問を好まないと、その害として[情に溺れて]愚かになる。智を好んでも学問を好まないと、その害として[高遠に走って]とりとめが無くなる。信を好んでも学問を好まないと、その害として[盲進に陥って]人をそこなうことになる。真っ直ぐなのを好んでも学問を好まないと、その害として窮屈になる。勇を好んでも学問を好まないと、その害として乱暴になる。剛強を好んでも学問を好まないと、その害として気違い沙汰になる。[仁智などの六徳はよいが、さらに学問で磨きをかけないといけない。]」

微子十八1
[殷王朝の末に紂王が乱暴であったので、]微子は逃げ去り、箕子は[狂人のまねをして]奴隷となり、比干は諌めて殺された。孔子は言われた、「殷には三人の仁の人がいた。[仕業は違うけれども、みな国を憂え民を愛する至誠の人であった。]」

子張十九10
子夏が言った、「君子は[人民に]信用されから初めてその人民を使う、未だ信用されない[のに使う]と[人民は]自分たちを苦しめると思うものだ。また[主君に]信用されてから初めて諌める、まだ信用されない[のに諌める]と[主君は]自分のことを悪く言うと思うものだ。」

尭曰二十3
寛(おおらか)であれば人望が得られ、信(まこと)があれば人民から頼りにされ、機敏であれば仕事ができ、公平であれば悦ばれる。

仁は究極の徳目

仁を持っている者は他の徳目を持っているよりもより高い状態にいます。不仁者が窮状の中にいるとそれから早く逃れようとするが仁者は悠然としています。仁者はその大きな徳目で他よりも大きく愛し大きく憎むこともできます。
つまり、仁は利己主義を超え広く他を愛せる存在なのです。しかし、ほとんどの人はそこまでには至りません。大仁までできなくとも小仁ぐらいはできるでしょう。例えば、人と交流する時に優しく接してあげるのも仁です。仁者と佞者は似ていますが仁者はそれでいてさっぱりとしていて佞者はそうではありません。
しかも仁者は、苦労を苦と感じていない。楽しんでやっているかのようです。究極の仁は遠いものでしょうか?孔子は求め続けたらすぐにやって来るよといっております。大事なのは求め続けるということでしょう。
マネジメントにおいても智での説得や信のコミットメントを求めてもそれだけでは人は動いてもらえません。こちらが大きな気持ちと態度をもった時に変化は起こるものです。

里仁四2
先生がいわれた、「仁でない人はいつまでも苦しい生活にはおれないし、また長く安楽な生活にもおれない。[悪いことをするか、安楽になれてしまう。]仁の人は仁に落ち着いているし、智の人は仁を利用する。[深浅の差はあるが、どちらも守りどころがあって動かない。]」

里仁四3
先生がいわれた、「ただ仁の人だけが、[私心がないから、本当に]人を愛することもでき、人を憎むこともできる」

“仁者は義に明かなり。ゆえに好悪共に公正なるをいう。尋常の人は義を見ること明らかならず。善悪の判断に迷うて好悪を誤り、あるいは利害の念に牽かれて、その善悪を知らざるにあらざるも、これを能く好し、これを能く悪むことができなくなるものである。独り仁人に至っては、一点の私心なければ、利害のために制せられるず、好すべきを好し悪むべきを悪みて枉げず、進退賞罰その当を得ざるはなし。”

里仁四4
先生がいわれた、「本当に仁を目指しているのなら、悪いことは無くなるものだ」

“およそ人の悪事をなすは、他人と接触する際、自己を偏愛するよりして生ず。すなわち利己主義の致す所なり。もしそれ仁者に至っては博く衆を愛して自己に偏私せず。それ人の仁に志さざるべからざるは、時の古今を問わず、地の東西を分たず、あい同じき所なり。蓋し、人は自分の利益幸福ためにのみ働かず。他人の利益幸福のために動かねば決して栄えるものではない。”

公冶長五5
或る人が「雍は、仁だが弁が立たない[惜しいことだ]。」といったので、先生はいわれた、「どうして弁の立つ必要があろう。口先の機転で人をおしとめているのでは、人から憎まれがちなものだ。彼が仁かどうかは分からないが、どうして弁の立つ必要があろう」

“それ仁は至大至正の徳である。されど仁に大小あり。広く民に施して能く衆を救うとか、広く愛するということは、これ大仁なり。小さい意味における仁は、心掛けさえすれば、田舎の農夫も、裏店の小商人も容易にこれを行い得べし。すなわち交際上において、人に対して慈愛をつくし、優しくしてやるのも、これ一つの仁である。人を愛し、徳のある人は、その言行が親切であって、荒き言辞も使わず、我が意見を述ぶるに当っても穏やかに説明して、荒々しき調子にならず、至極人ざわりのよいものである。仁者と佞者とは間違われ易いものであるが、しかし佞者にはさっぱりとした所のないものである。”

雍也六20
先生が言われた、「知っているというのは好むのには及ばない。好むというのは楽しむのには及ばない」

“曰く「仁者は私心に克ちて礼に複り、忠恕を以って人に接す。労苦まず仕事をなし、しかしてその獲得を後にす。これ仁というべし。」当今の人徒らに成功を急ぎ、労より報を求むるに急なる弊あり。孔子のこの教訓をよろしく玩味すべきなり。”

述而七29
先生がいわれた、「仁は遠いものだろうか。私たちが仁を求めると、仁はすぐにやってくるよ」

“仁は忠恕の心に推して博く人を愛し、人と我との隔てなきをいう。すなわち我が心にあり、決して外にあるものを求むるにあらざるなり。かの仁を遠くして求め難しとするものは、誠に仁を求むるの心なき者なり。心誠に仁を求めんとならば、仁は近く己の心にありて、即時に仁は至るものなり。”

憲問十四7
先生がいわれた、「君子であっても仁でない人はあるだろうね。だが小人なのに仁だという人はいない。」

衛靈公十五24
子貢がお訊ねして言った。「一言だけで一生行って行けるということが有りましょうか。」先生は言われた、「まあ恕[思いやり]だね。自分の望まないことは人にも仕向けないことだ。」

“子貢初めて孔子に見えし時、一言にして以て終身これを行ふものありやと問う。孔子それ恕かといふ。併せて恕の字を解するに、己の欲せざる所は、人に施すことなかれといふを以てす。恕の字に忠の字を含むこと論なし。忠恕は即ち仁なり。仁は一身にあっては終身これを行ひ、一国にあっては恆常これを行ふべき道なり。”

利と義の関係

人によっては孔子は利を嫌っていたのではないかと考えている人もいるでしょう。それは江戸時代の朱子学に影響を受けた武士の存在があるのかもしれません。映画二宮金次郎で豊田正作が二宮金次郎の服部家における復興で武士に金勘定をさせたなどと批判します。
しかし、人間である以上利は必要なものです。ただし、どのように求めるかが大事になってきます。不義とはどういうことなのでしょうか?刑罰よりも道徳を重んじていた孔子にとっては、不義とは秩序を乱したり、人同士の信頼関係を騙すようなことをしたり、人を慮らないことをして得るような利益や昇進のことを指すのではないでしょうか?

述而第七11
先生が言われた、「富みというものが追求してもよいものなら、鞭(むち)をとる露払い[のような賎しい役目]でも私は勤めようが、もし追求すべきでないなら、私の好きな生活に向かおう。」

″孔夫子が富と貴とを賤しみたるにあらざることは申すまでもなきことなり。求むべき正当の富貴ならば、これを得んがためにいかなる苦労をなすもあえて厭わぬけれども、富貴を求めるがために道を枉げ、自尊を傷つくるがごときは、とうてい忍ぶ能わざる所になるがゆえに、それよりはむしろ吾が好む所の古人の道に従って歩み、富貴を眼中に置かぬという気概を示されたのである。″

述而七15
先生が言われた、「粗末な飯を食べて水を飲み、腕を曲げてそれを枕にする。楽しみはやはりそこにも自然にあるものだ。道にならぬことで金持ちになり身分が高くなるのは、私にとっては浮雲のよう[に、はかなく無縁なもの]だ。」

“精げる玄米の飯を食い、水を飲み、夜間ねるにも枕なく、肱を曲げてこれを枕の代用とす。至極簡易の生活なり。しかもこれに安んじて楽しみまたこの中にありとなし、楽天主義を取りて動かず。世上の人はこれに安んずること能わず、いかにもして富貴を得んとし、その手段の義不義に問わず、その方法の理不理を顧みざれども、不義不理を以って得たる富貴は、孔子よりこれを観れば、天上の浮雲のごときものにて何時消散するも知れぬから、決してこれを得んことを願わずとなり。孔子は固より貧賤を好むにあらず、義に合い理に叶う富貴なれば、これを得るを欲するなり。しかるを世人往々孔夫子は「粗衣粗食を人に進め、つまらぬものを口に食らい、水を飲み、肱を枕にして生活せねば、真の楽しみは得られぬ」と説かれたかのごとくに解釈するのは全くの誤解だ。不義を行っても富貴利達を求めようとするのは人として恥ずべきことである。”

里仁四5
先生がいわれた、「富と貴い身分とはこれは誰でも欲しがるものだ。しかしそれ相当の方法[正しい勤勉や高潔な人格]で得たものでなければ、そこに安住しない。貧乏と賎しい身分とはこれは誰でも嫌がるものだ。しかしそれ相当の方法[怠惰や下劣な人格]で得たのでなければ、それも避けない。君子は人徳をよそにしてどこに名誉を全うできよう。君子は食事をとるあいだも仁から離れることがなく、急変のときもきっとそこに居り、ひっくり返ったときでもきっとそこに居る」
富貴は万人の欲する所なり。しかれどもこれを得るに道あり。すなわち学を修め功を立てて、身を修め徳を備うるこれなり。それ富貴その物は固より悪しきものでない。

″従来学者間において悪人の意に解釈しさり、富と貴きとは悪人の要求する所であって、これを獲得するには道ならぬ方便を以ってするを要するがゆえに、君子は富みと貴きとに近寄らず。
もし富みと貴きが外より舞込んできてもこれを避くべきであるかごとくに心得る輩少なからず。これ実にいわれなき僻見である。孔子のご趣意はただ道を以ってせず、無理非道をあえてして獲得したる富貴が悪いというだけのことである。いかに民に施し能く済おうとしても富がなければ到底その希望を達し得ない。
教える人と行う人の間に截然として分業の傾き生ず。すなわち実行の人必ずしも仁義道徳の教師ならず。仁義道徳の教師必ずしも実行の人ならず。″

君子と小人里仁四1
先生がいわれた、「君子は正義に明るく、小人は利益に明るい。」

“さて今日世に処するに、義にさとった方が利益であるか、はた利にさとった方が利益であるか、この問題はちょっと解決し難い問題である。利にさとるのが必ずしもその人の不利益とならぬのみか、むしろその人の利益になる場合がある。少なくとも目前の利益は確実なる場合があるのである。世人より投機者流と見られ、世間の信用を失うようにならぬとも限らぬ。すなわち一時は利益を得ても、永い年月の中には、大いに損をすることになるべし。余はいかなる事業を起こすに当っても、またいかなる事業に関係するに当っても、利益を本位に考えることはせぬ。この事業は起さねばならず、かの事業は盛んにせぬばならずと思えば、これを起しこれに関与し、あるいはその株式を所有することにする。事業を新たに起しまたはこれを盛んならしむるには、世間多数の人より資本を寄せ集めねばならず、資本を寄せ集むるには、事業より利益のあがるようにせねばならぬものなれば、もとより 利益を度外におくことを許さぬは勿論である。”

さすが数多くの会社や団体を設立に携わった渋沢栄一ならではの意見だと思います。その後の日本でも利を心の中では求めるものの仕事は避けようとする考えは続きます。公務員や教師などを目指そうとするのはその表れです。
管理者注